Simple Life 
〜前途多難だけど洋々〜
5話

〜五行匠〜

 その週の日曜日。
 俺は駅の改札口で飛鳥井を待っていた。
「うーむ……。まさか、本当にデートすることになろうとは」
 呻きつつ、俺は改札口の中へと目をやった。まだ飛鳥井は来ない。
 デートとなったあの後、念のために確認しておこうと飛鳥井に「あの話は本気か?」と訊ねたら、ムッとした表情で睨まれた。
「冗談でデートの約束できるわけないでしょう」とお小言も頂いてしまった。
 つまりは、本気だということだ。それを否が応でも理解してしまったため、俺はネットと雑誌、そーいった話に詳しいクラスメイトの女子にリサーチをかけ、情報を入手。
 それを元に今日のプランを設定し、飛鳥井に伝え――今日に至るわけだが。
「……楽しめればいいか」
 ヘタにグダグダ考えていてもどうしようもない。気楽にいきますかね。
「そろそろ時間か」
 待ち合わせの時間になろうかというところで、背の高い姿が見えた。
「来たな」
 整った純和風な顔立ちに、すらっとした長身。背は真っ直ぐに伸ばし、綺麗としか言いようのない歩き方。
 見間違えるわけがない。今日のデートの相手、飛鳥井明日香。
「よう、飛鳥井」
「こんにちは、五行さん。待たせてしまったかしら?」
「いんや、時間ピッタシ」
「そう、良かったわ」
 ほっとしたように小さく笑う飛鳥井を、俺は改めて見た。
 襟元と袖にレースがあしらわれた、ブルーパープルとでも言うのか、青と紫を合わせたような綺麗な色合いのギャザーカットソーに、リブのミニティアードスカート。足はキャメルのショートブーツ。
 ……言うまでもなく、デートとしては申し分のないお洒落なコーディネートだった。
 で、反対に俺はといえば。
 Tシャツに長袖シャツ、ジーパン、スニーカー。
 飛鳥井と比べると格段に見劣りする格好だった。
(……飛鳥井よぉ。気合入れすぎてないか?)
 デートと言っても、ちょっと遊びにいく程度の感覚でいた俺とはどうやら気温が違ったらしい。
「……どうしたの、五行さん? 私に何か付いてるかしら?」
「いや。ちょっと見惚れていただけだ」
 ここでベタに「目と鼻と口が」とか言ったら、雪女並みの冷たい視線が襲ってくるに違いない。
 だから、素直に事実を言ったまでだが――何故か飛鳥井は固まっていた。
「み、見惚れ……? な、何を言ってるの、五行さん!?」
「何って……。事実しか言ってねえやい。別に動揺するもんでもないだろうが。言われ慣れてるだろ、この程度」
「言われたことなんてありません!」
「おいおい」
 何を言っているんだか。自分の容姿についての自覚がないのかね、こいつは。
 元々美人な上に、今日のファッションのせいでよりそれが強調されてる。……ホレ、今通り過ぎたカップルの男の方が、振り返って飛鳥井を見て鼻の下伸ばしてたし。
 彼女に耳引っ張られてたけどな。
 そんな美人と今日遊べる俺もかなりの幸運の持ち主……って、俺は何を言っている!?
「と、とにかく!」
 頬を赤く染めた飛鳥井が何かを吹っ切るように、語調も荒く言った。
「目的地はあるのでしょう? 時間も勿体ないし、行きましょう、五行さん」
「それに異論はないが……」
 返事をするよりも早く、飛鳥井はさっさと歩き出してしまった。
「ちょっと待て、飛鳥井」
 俺は慌ててその背に声をかけた。
「何ですかっ」
 振り向いた、きつめの美人に努めて平静に、俺はある一方を指差す。
「行くのはこっち。そっちは逆方向だ」
「…………!!」
 一瞬停止したのち、飛鳥井はくるっと踵を返し、俺の示した方向へと改めて歩を進めた。
 いや、それはいい、それはいいんだが。
 前を通り過ぎざま、睨まれた。
 ……俺が何をしたというんだ、誰か教えてプリーズ。
「五行さん、何をしているの。あなたが案内してくれないと、どこへ行けばいいのかわからないわ」
「だから、ちょっと待てって」
 ため息一つ、俺は急いで飛鳥井の後を追いかけた。
 あーもう。恥ずかしいのはわかるが、そんなに意地にならなくてもいいだろうに。

 駅を出て、目的地へと向かう道すがら「どこへ行くの?」と訊ねられたが、着いてからのお楽しみ、ということで黙っていた。
 でもって、着いたそこは。
「……水族館ね」
「それ以外に何に見える」
 デートコースの王道の一つ、水族館。
 嫌いだと言う人は殆どいないし、料金も手頃だし、コース的にもちょうどいい長さだし、話題作りも難しくないし――という、初めてとしてはベタではあるけれども、その分楽しめる場所なのだ。
 ……すいません、色々と尤もらしい理由を並べましたが、これ以上の場所が思い付きませんでした、はい。
 そこぉっ! 笑うんじゃねー! こちとらデートなんてしたことないんだよおおおっ!
 だが、内心一人絶叫祭り開催中の俺のことなどほぼ無視し、飛鳥井は腕時計に視線を走らせてから、こちらを向いた。
「それじゃ、入りましょうか」
「ああ」
 確かにここでこうしていても仕方ないし、俺の絶叫などただ悲しくなるだけだし。
 二人分の入場料金を払い、(最初、飛鳥井が二人分持つと言ったんだけど、強引にそれぞれが払う、ということにした)中に入って少し歩くと――そこは別世界へと変貌していた。
「ひゅう……」
「はあ……。綺麗ね……」
 二人して感嘆の声を漏らす。
 巨大な水槽、光と闇のコントラスト、泳ぐ色取り取りの魚たち……。水族館なのだから当然といえば当然なのだが、そんな常識が霞むくらいに幻想的な雰囲気を醸し出していた。
「驚いたー。結構近場だから、そこまで期待していなかったんだけど、こりゃ穴場かも」
「え? 知っていたわけじゃないの?」
 意外だったのか、飛鳥井がキョトンとした表情をする。
「まさか。いい場所ないかなって、ネットで調べてたらここがヒットしただけ。たまたまだよ」
「わざわざ調べてくれたの……」
「ん? 何か言ったか?」
「いいえ。先へ進みましょうか」
「あいよ」
 少し気にはなったが、どうせ訊いても答えやしないだろう。俺も気にせずに順路を先へ進むことにした。
 ――いくつかの水槽を通った後、飛鳥井が足を止めたのはこの水族館で一番大きな水槽。ここには大小合わせて100を超える種類と優に5000を超す数の魚がいるらしい。
「凄いわね……」
「ああ。……おお! マグロの大群! 近頃魚高制限とか資源不足とかいわれているマグロがこんなにたくさん! 丸々太ってて美味そうな……」
 一匹ぐらい分けてもらえないだろうかな。
「五行さん?」
「あれはマンボウ!? おお、あれも食べたら美味いというけど。知ってるか、飛鳥井? マンボウって、卵三億個くらい産むんだぜ? んん? あれは……エチゼンクラゲ? なぜあれがー!?」
 噂のクラゲソフトにでもする気か。
「あの、五行さん」
「水族館って、美味そうな魚がたくさんだなあ」
「ご・ぎょ・う・さ・ん?」
 ゾクリ。
 背筋に寒気が走った、と思った次の瞬間、頬に痛みがっ!?
「あだだだだだっ」
「いい加減にしてください。それに人を無視しないで」
「わ、わがったがら、引っ張るのは止めてくれ!」
 懇願すると、ようやく飛鳥井は手を放してくれた。
(あ〜、痛かった)
 頬をさすりさすり、飛鳥井を見ると「何か文句でも?」とこちらを強い瞳で見ていたので、とんでもないと首を振る。
「……全く。浮かれるなとはいわないけど、せめてはしゃぐ方向性を考えてください」
 呆れの言葉と共に吐き出されるため息一つ。
 しかし、それは心外だ。水族館にいる魚を見て「美味そうだ」と思う奴が俺以外にいないわけがない。
 断言してやる。
「何を言うか。これを見て美味そうと思わないほうがおかしい」
 胸を張って言ったんだけど、飛鳥井には全く感銘を与えなかったらしい。
「先に行きます」
「って! 置いていくなー!」
 俺はまた飛鳥井を追いかける羽目になった。

 さらにいくつか回った後、俺たちが向かったのはお約束といえばお約束のイルカのショー。シャチもいるらしい。
 開演時間に合わせて会場へと入ったので、前から三列目といういい位置を取ることが出来た。
「しかし意外だな」
「何が?」
 売店で買ったフライドポテトを摘まみつつ、ペットボトルのお茶を飲んだ。
「飛鳥井がこういうのに興味があったとは思わなくてさ」
「含んだ言い方ですね。あったらおかしいのかしら?」
「まさか。意外だったって言ったろ」
 それが正直な気持ちだった。このイルカのショーのことは調べたときから知っていたが、俺自身は興味なかったし、飛鳥井もなかろうと(勝手に)思っていたので、「行きたい」と言われた時は思わず「本気?」と訊いてしまったくらいだし。
 にっこり笑った飛鳥井に足踏まれたけど。
「私だって女の子ですからね、可愛いものが好きなんです」
「別におかしかないって」
 ……どうやら、俺が本気かと訊き返したことがご不満だったらしく、「女の子」を強調してくる。
「どうかしら。内心『似合わない』とでも思っているのではないの?」
「思ってねえよっ」
 えーい。変なほうに拗ねやがって。
「くっそー。顔は可愛いくせに、こういうところは可愛くねえ」
 可愛いというよりは美人系だが、そんなことは瑣末な問題だ。
「なっ……。か、可愛いとか何を言ってるんです!?」
 何故か頬に紅葉を散らした飛鳥井がこっちを睨んでいた。
「何って、そのまんまだけど」
「いい加減なこと言わないでください!」
「いい加減って、そんなつもりは」
「適当な美辞麗句並べて機嫌を取ろうなんてあさはかです!」
「だあっ! 捻くれてんな、おい!」
 何でそこまで疑心暗鬼になるかね!? 素直に受け取ればいいものを。
「そうさせたのはあなたでしょう」
「何でだよっ」
「自分の日頃の行ないを鑑みれば、自明の理です」
「意味わかんねー!」
 思わず頭を抱えそうになったとき、四方からの強い視線を感じた。
「何だ……? げっ」
 見渡すと――観客からの非難の視線の大嵐。
 そういや、ここがイルカショーのステージだったこと、すっかり忘れてた。
「うああ……。すみません、すみません!」
 大慌てで頭を下げ回る。横では同じく飛鳥井が、引き攣った表情で頭を何度も下げていた。
 うおお、なんてこったい。
 謝罪したことで非難の矢が治まったので、安堵のため息をついた。
「参ったな……。すまん、飛鳥井。迷惑かけた」
 俺の不用意な一言がきっかけでこうなってしまったので、飛鳥井に申し訳なく思った。
 全く。何やってんのかね、俺は。
「あ、別にいいです。私もその、悪かったし。売り言葉に買い言葉みたくなってしまったから――」
 飛鳥井はちょっと困った顔をしたが、すぐに照れた顔を見せた。
「んじゃ、この話はもうお終いってことでいいか?」
「ふふ。ええ、構いません。……静かにショーを見ましょうか」
「うい。できる限り大人しくしてるよ」
 反省の意味を込めてそう言うと、飛鳥井がクスクス笑った。
「おかしなこと言ったか?」
「ええ。五行さんが『大人しくしてる』なんて言うとは思わなかったから」
「……何気に酷いこと言われてない、俺」
 ……ちきしょう。今度はこっちが拗ねるぞ。

 結論から言うと、イルカのショーは面白かった。
 様々なイルカのジャンプ、テイルウォーク、統率の取れた泳ぎに飼育委員と絶妙なコンビネーション。
 ジャンプした際の水飛沫が飛んできたのもお約束なら、観客にイルカからのキスのプレゼントもお約束。
 でも、イルカのキスって、どっちかというと頭突きに近い気がするのは俺だけなのでしょうか。それに、シャチからのキスを受けた観客が、思いっ切りすっ転んでたのはいいのか。
 しかし、それら全てが面白く感じてしまうのがこういったショーだ。俺ももちろんそうだったし、飛鳥井なんかキャーキャー黄色い悲鳴と歓声を上げてた。
 静かなイメージのある日頃からすると、かなり意外な姿だった。
「ふふふ。イルカたち可愛かったですね」
 上機嫌な飛鳥井は笑顔で足取りも軽かった。
「ご機嫌だな。そんなに楽しかったか、ショーは」
「ええ、もちろん。あんなに声を上げたのは久し振りですから」
「そっか。楽しんでもらえたなら何よりだ」
 少なくとも退屈させずにすんだのなら、それに越したことはない。
 全てを見終わった俺たちは出口へと向かう途中、売店を通りかかった。俺はそのまま通り過ぎようとしたんだけど、飛鳥井がピタッと足を止めてしまったので、こっちも足を止めざるを得なかった。
「縫いぐるみとかも売ってんのか」
 イルカやらシャチやらの縫いぐるみが棚に所狭しと置かれており、女の子のお客がキャイキャイと品定めしていた。
 イルカやシャチ、ペンギンはいいだろう。人気あるし可愛いし。洒落でクラゲやヒトデも許容範囲内だ。
 しかし。
 ナマコとか海栗とか――極めつけは、生け作りにされたアジの縫いぐるみ(ちゃんと刺身にされた部分は取り外せる)はいかがなものか。これ、子供が見たらトラウマになるぞ?
 何とも微妙なラインナップに内心首をかしげながら、飛鳥井がいるはずの方へと視線を向けると、ある一点を凝視していた。
「……これが欲しいのか?」
「!? ち、違います! ちょっと見てただけで」
 ビクッと震え、慌てて視線を逸らすというわかりやすい反応を示しながらも、飛鳥井は未練たっぷりの視線をそれに一度だけ向けて、売店を出ていってしまった。
「あ、おい、買わなくていいのかよ?」
「別に欲しくありません」
「意地っ張りめ」
 苦笑しつつ、俺はそれを手に取ってしげしげと眺めた。これが欲しいとは、これまた意外な一面を見た気がする。
「五行さん? 何してるの?」
「ああ、すぐに行く!」
 急かす声に、俺はそれをレジに持っていった。
「これください」


BACKINDEXNEXT
創作小説の間に戻る
TOPに戻る