Simple Life
〜前途多難だけど洋々〜
2話


〜五行匠〜

 翌日。
 登校してくると、自分の机に現文のノートが鎮座していた。
「飛鳥井か」
 まあ、それ以外考えられないわけだが。
「それにしても堅いやつ」
 ノートを机の中に放り込んで呟いた。
 何せノートと一緒に一枚の手紙。
『助かりました、ありがとう』――それだけのものだが、こんなことするくらいなら後にでも口で「ありがとう」と言えば済む話なのでは。
 朝は風紀委員の仕事でいないからといっても、律儀なクラスメートだ。
「アレでもう少し性格が柔らかければ、もっと魅力的なのにね」
 容姿も性格を反映したかのようにキツめな顔立ちだし。
「ま、関係ないか……」
 美人で、少し親しい程度のクラスメイト。
 俺と飛鳥井の関係はそれだけ。
 ――そう思っていたのだけど。
 そうは問屋が卸さなかったらしい。

 その言葉に、俺はしばし二の句が告げなかった。
「……お願いできない?」
 眼前の飛鳥井は俺の反応が鈍いのを感じたらしく、少し困った顔をしていた。
「……もう一度訊くけど。……相談?」
「ええ。ちょっと男性の心理を知りたくて。でも、そういうこと聞けそうな男子って、五行さんくらいしか思いつかなくて」
「飛鳥井が、男子の心理を知りたい……」
 一体、どういう風の吹き回しだ。そもそも、その目的は誰なんだ?
「……駄目かしら?」
「そんなことはないが。……わかった、相談に乗るくらいならできるだろ」
「ありがとう、五行さん。それじゃ――お昼休みでいいかしら? 私、学食で食べるからその時にでも。五行さんは?」
「俺も学食。なら飯食いながら話聞くわ。それでいいか?」
 むしろ人が多くてざわついている時の方が、周りからも聞かれなくてすむだろう。
「ええ。それじゃ昼休みに」
「わかった」
 飛鳥井の綺麗な後ろ姿を見送って。
 ――どうやら、今度は相談業務を引き受けることになったらしい。

「で? 誰の心理を知りたいと?」
 ある程度食事が進んだところで、俺は飛鳥井に訊ねた。
「……ええ。ある男子生徒のことなんだけど」
 飛鳥井も食事の手を止めて、真っ直ぐにこっちを見た。
「ほう? ここの生徒か? ――誰だ?」
「一年の……遠矢一夜さん」
「って、あの!?」
 形のよい唇から出たその名に、俺は大きく目を見開いた。
 遠矢一夜。
 一年男子の中の人気トップ。二位はその親友でもある千秋那智だ。ちなみに三位は二人でワンセットらしい。BLってのはわからん……。
 しかし、飛鳥井から遠矢の名が出てくるとは思わなかったな。かの風紀委員様も学年一の美少年にやられてしまった、ということか。
「遠矢、ねえ。飛鳥井も美少年好きか。でも、かなりライバル多いぜ? 勝ち抜く自信あるか?」
 それに、遠矢は体育科の四方堂円と仲がいいと聞いている。容姿、スタイルは負けちゃいないだろうが、性格的には向こうが一歩リードしてる気がする。
 えてして体育会系の連中は厳しいことは厳しいが、面倒見がいいし、性格もさっぱりしてる奴らが多いからな。
「……勘違いしないで。私は男女間の恋愛感情から、一夜さんの心理を知りたいと願ってるわけではないの」
「なぬ? じゃあ何で遠矢の心が知りたいなんて言うんだよ?」
 どういうことだ? 気になっているからこそ、男子の心――ひいては遠矢の心が知りたいと思ってるんじゃないのか。
 疑問がそのまま顔に出ていたに違いない。飛鳥井は俺の視線から逃れるように目を伏せた。
「それは――」
「それは?」
 しばし言い淀んでいたが、やがてスッと顔をあげると、意を決した声音でこう言った。
「一夜さん――遠矢一夜さんは私の弟なの」
 と。
「…………」
「ここだけの話にしてもらえるかしら? 口外されると色々と問題があるから」
 だが。
 俺は飛鳥井の話を聞いて――イヤ、理解できていなかった。
「…………」
 何度も何度も頭の中で繰り返し、少しずつ消化していき――全てを理解するまでかなりの時間がかかった。
「あの、五行さん。聞いてる?」
 飛鳥井の言葉も馬耳東風。
 でもって。
「何ですとー!?」
 素っ頓狂な声を上げていた。

 大声を上げてしまったせいで注目を浴びてしまったが、周りに平謝りすることで何とか事なきを得た。
 でも、飛鳥井にはジト目で睨まれた。……美人なだけに怖いです。夢に出てきそうだ。
「すまん。でも、それ、ホントなのか!?」
「こんなことで嘘なんかつかないわ。事実です」
 飛鳥井は心外だとでも言うように小さく肩をすくめて見せた。
「でも、苗字が――あ」
 俺はそこで言葉を途切れさせた。
 姉と弟。異なる苗字。
 つまり、それの意味するところは。
「そう。私と一夜さんは異母兄弟なの。一夜さんのお母様がお亡くなりになって、父が引き取ったの」
「苗字は変えなかったのか?」
 一つ屋根の下に暮らす以上、姓も同じにするんじゃないのだろうか。
「一夜さんの希望。多分だけれど、お母様のとの繋がりを残しておきたかったのではないかしら」
「お前の家ってかなり複雑?」
「――人並み以上に複雑だと思うわ。恥ずかしい話、父は三人の妾を囲って、その生活の面倒を完全に見ているような人だから」
「……おい。つまり、遠矢って」
「妾腹」
 あっさり言った飛鳥井の単語に、ついに俺はテーブルに突っ伏した。
「五行さん?」
 ――とんでもない話を聞いた。とんでもなく重い話。
 ちょっとした恋愛相談的なもんだと思っていたのに、その実、どこかのメロドラマみたいな家庭の事情を聞かされるハメに。
 しかし、飛鳥井も飛鳥井だ。何でそんな家庭の事情をいくら相談に乗ってもらうからと言って、ホイホイ話す? 自分の家庭のことを話すのに躊躇いはないのか、それとも――?
 俺は手を振って、大丈夫だと示す。
「気にするな。一介の高校生にはちょっくら重い話を聞かされて、ショックがでかいだけだ」
「そう。でも、まだ全部じゃないのだけれども」
「は!?」
 その言葉に慌てて起き上がる。
「ちょっと待て! まだ何かあるのかよ!?」
「全部聞いてもらわないと、適切なアドバイスももらえないと思うから」
「確かにそりゃそうだけどさ……」
 飛鳥井の言うことは尤もなのだが、既に満腹なんですけど。
「私にはあと二人、姉がいるんだけど一夜さんとはね……」
「ちょっと待て」
「?」
 さらに話そうとする飛鳥井を遮り、腕時計を示した。
「時間。そろそろ昼休み終わるぞ。あと十分足らずで話し終えるか?」
 その上、自分のアドバイスを受けなくてはならないわけで、どう考えたって時間が足りない。
「……無理だわ。じゃあ、放課後。どこかカフェでも寄って聞いて。構わない?」
「心理的には明日以降にしていただけないかと、切に願うのですが」
 重い話を聞かされるのにはキャパが足りません。ダメージも甚大。
 今日さらに聞かされたら恐らく(というか確実に)再起不能になります、はい。
「それじゃあ、放課後。カフェは静かに話ができるところを知ってるからそこで。一緒に行きましょう」
「完全無視かいっ」
 ――俺の願いを知りながら、完璧にスルーしてくれやがりました。

 逃げたかったが、ここまで来て飛鳥井の相談から逃げるわけにも行かず、俺たちは静かにクラシックが流れるカフェに腰を落ち着けていた。
「ええと、昼の時の話は、遠矢と飛鳥井の関係まで聞いたんだよな、確か」
「ええ、最後に姉が二人いるってところまで話したわ」
「遠矢には飛鳥井を含めて三人の姉さんがいるわけだ」
 言いながら、注文したチョコレートパフェ(百五十円で生クリーム増量版)を一口食べた。
「……男の人なのに、五行さんは甘党なのね」
 呆れが含まれた声音で言った飛鳥井は紅茶。小さなクッキーが付いている。
「好きなんだよ、甘いもの。できればホテルとかでやってるケーキ食べ放題に行きたいんだけど、さすがに男一人で行くほどの勇気はないんで困ってる」
「勝手に行ってください」
「冷たいなっ? そこは『私が一緒に行きましょうか』くらい言ってくれるところだろ」
「興味ありませんから」
 あっさりと飛鳥井。
「ぐはあっ!? なんともご無体なお言葉よのぅ……」
 紙ナプキンで涙を拭く。(無論フリ)
「はあ。遊んでいる暇はないのだけど」
 あからさまにため息を吐かれ、もう俺は苦笑するしかなかった。
「ノリ悪いな、本当に。――それで、お姉さんたちがどうした?」
「姉たちは私よりも仲がいいの。特に二番目の姉が。一夜さんのために服を選んだりしてるし、一夜さんもその服を着て出かけたりもしているわ。だけど、私はさらに一歩引かれているのね。私としては」
「もっと仲良くなりたい、と」
「ええ。そんなに仲良しこよしなんてことは言わないわ。ただ、せめて普通の兄妹らしくしたいの」
「何でそんなに壁を作られてるんだ?」
 それがわからない。別に反目し合っているとか、そういうわけじゃないみたいだが。
「――元々私とは少し合わないみたいだったけれど、この前……」
 少し間を置いて、飛鳥井が話したのは告白騒動。
 なるほど。遠矢が告白されてそれを断ったまではいいが、その際の断り方が傷つける言い方だったので、叱るつもりで引っ叩いた、と。
 だが、それが原因でさらに引かれた模様、と。
 しかし、話を聞く限りでは別に飛鳥井は悪くはない。それは遠矢もわかっているのでは? だからこそ、文句も言わずに「俺が悪いのは事実」と認めたんじゃないのか。
 まあ、今の飛鳥井に言ったところで何の慰めにもなるまい。
「それから、千秋君にも訊いてみたんだけれど……」
「千秋に?」
 なるほど。
 たまたま電車内で居合わせたので、遠矢のことを訊いてみたが――いい方法は思いつかなかったか。
「……なら、親父さんやお袋さんは?」
 家族の力を借りるというのは有効な手段だと思うんだけど、飛鳥井は借りる気はないのだろうか。
「五行さんの言うことは尤もだと思うけど。お父様は仕事で家を空けてることが多いし、お母様は――」
「お袋さんは?」
「一夜さんことが嫌いだから。用がなければ話さないし、一人だけ生活用品を揃えた離れを与えていて、母屋には来るなって無言に意思表示。とてもじゃないけれど、協力なんてしてくれないわ」
「何だそりゃ……。でも何で嫌い――って、ああ」
 遠矢は親父さんの妾の子。お袋さんにとっては泥棒猫の忘れ形見ってわけか。それなら嫌ってても仕方がない。むしろニコニコ分け隔てなく接しているほうが違和感を感じるかもしれない。
「それじゃあ、ご両親の協力は無理、と。となると」
 お姉さんたちの力を借りるしかないか。どんなお姉さんたちなのかはさっぱりわからないが、話を聞く限りじゃ遠矢とも仲は悪くなさそうだし(むしろいい感じ)、お願いすれば協力してくれるんじゃなかろうか。
「姉たちの協力を得ることくらいかしら。それだったら何とかなると思うけど……」
「ふむ」
 ちょっと整理してみよう。
 飛鳥井明日香と遠矢一夜は異母兄弟。飛鳥井たち三人の娘さんは正妻の子で、遠矢だけ愛人の子。
 親父さんは道徳的には褒められた人間じゃないが、愛人との子も引き取って面倒見ているという、よくわからん人。でもって、お袋さんはそれが気に入らないので、嫌っている、と。
 姉二人はそれなりに仲がいいが、飛鳥井だけが一歩引かれている感じで、あまりよろしくない。でも、飛鳥井はもっと仲良くしたい、と。
 こんなところだな。
 となると、問題は遠矢自身の気持ちか。遠矢が仲良くなる気が全くなければ、かなり厳しいことになる。
 しかし、一歩引かれてるという飛鳥井の言葉から察すれば、別に嫌われてもいないし、仲良くなる気がないわけでもなさそうだ。
 恐らく――妾腹だという立場的なものと、母親に嫌われている事実を理解しているがゆえの、遠慮。それと、歳近い異母姉が同じ学校にいるということの苦手意識。
 そうなると、やるべきことは自ずと決まってくる。
「飛鳥井。やるべき重要なことが見えた」
「重要なこと? 何?」
「遠矢自身の気持ちを知ることさ。でも、こればっかりは直接聞くわけにもいかないから、調べる程度にしておこう」
 ま、気持ちとかは置いておいて、遠矢が一体どんなヤツなのか、調べておいたほうがいいだろう。飛鳥井に訊けば早いとは思うが、この分じゃ詳しくは知らんだろうしなあ。
「でも、どうやって?」
「任せておけ。俺が調べるよ」
 方法ならいくらでもあるし。
「そう? ならお願いするわ。ありがとう、五行さん」
 微笑みながら頭を下げる飛鳥井に、俺も小さく笑った。
「気にするな。相談に乗るっていった以上、やるだけはやらせてもらうさ」
 それに、飛鳥井みたいな美人に頼まれごとをするってのも悪くない。……恥ずかしいので言わんけど。
「んじゃ、取り敢えず、今日はここまでってことで。遠矢のことが調べ終わったら、それを踏まえてアドバイスさせてもらうから」
 立ち上がると飛鳥井も「わかった」と頷いて、伝票を手に取った。
「お礼にここは私が払うから」
「おいおい。自分の分は払うぞ」
 しかし飛鳥井は首を振り、レジへ向かってしまった。
「いいから。それくらいはさせて」
「……わかった、ご馳走になる」
 ここで意地張っても聞かんだろうし、周りにも迷惑にもなるし。素直にご馳走になっておこう。
 埋め合わせは有効なアドバイスをするってことで。
 俺はカフェの出口に向かって歩いていった。


BACKINDEXNEXT
創作小説の間に戻る
TOPに戻る