Simple Life
〜前途多難だけど洋々〜
10話

〜五行匠〜

 二限と三限の合間の休み時間、俺は大欠伸をかました。
「ふああ〜」
「ちょっとそこの大欠伸さん」
「んあ? そこはかとなく失礼なことを言うのは誰じゃ」
「陸上部のエース、園崎絵梨菜ですっ」
 声がした方を向けば、そこにはビシッとポーズを決めた園崎の姿が。
「妄想は心の中だけしろよ。そうすれば憲法で保障されてるからな、思想・良心の自由は」
「……酷いことを言われてるのはあたしの方よね」
「それで、何の用なんだ」
 頬をヒクヒクさせている園崎に構わず、首を傾げた。
「あんたね……。まあいいわ。明日香のことなんだけど」
「明日香? 飛鳥井のことか。飛鳥井がどうかしたのか」
「ここ数日、明日香の様子が変なんだけど、何か知らない?」
「変? ……そんなふうには見えないけどな」
 顔を飛鳥井の席へと向ける。
 飛鳥井は次の授業の予習でもしているのか、教科書に目を落としたまま、顔を上げようともしない。
 チラッとそちらを見た園崎は、軽くため息をついた。
「見た目はね。次の授業にでもよ〜く見てみなさいよ。おかしいことに気が付くから」
「そうなのか? わかった、注意してみるわ」
「ええ。それで? 明日香の変調に心当たりはないの?」
「何で俺に訊くよ?」
 怪訝に思って訊き返すと、園崎は顎先に人差し指を当てて考える仕草を見せた。
「だって、変なのが顕著になったのって月曜からだもん。日曜日に何かあったってことでしょ?」
「タイミングとしてはそうだけど」
「あたしとしてはさ、明日香が五行君の家に忘れ物取りに行った時に何かあったんじゃないかって睨んでるんだけど、そこんとこ、どう?」
 園崎がずいっと身を乗り出してくるが、思い当たる節は――あるな。
(両親のことでまた悩んでるんじゃねえだろうな……)
 だとするなら――全く。深く考えすぎだ。ありゃ俺の問題であって、飛鳥井の問題じゃないのだから、気にしなくていいのに。
 しかし、それを言うのは躊躇われた。変な波風は立てたくない。
「別に。忘れもん取りに来たから、探してちょっと話して、それで終わりだ」
「本当に〜? 明日香を押し倒すとか、キスしたとかなかったの?」
「やましいことは何もしてねえよっ。てか、そんなことしたら、俺は犯罪者だろ!」
 飛鳥井に頬を触られたり、俺が頭を撫でたりはあったが――あれは別に……まずいことじゃないよ、な?
 しかし、園崎は不満だったらしく、口を尖らせた。
「え〜? 何だつまんない。てっきりそういうことして、明日香がこれからどうやって五行君と付き合っていけばいいのか悩んでいるか、思い出に浸ってるかと思ってたのに」
「何だそれは。どうやったら、俺と飛鳥井が付き合っていることになる」
 ありえんだろ、それは。
「そお? あたしは五行君と明日香はお似合いだと思ってるんだけどな。破天荒な五行君に生真面目な明日香はブレーキをかけるという点で丁度いいし、少し堅物でキツメの明日香には、常識破りな五行君が上手くバランスが取れてると思うんだよね」
「……それ、飛鳥井の眼前で言えるなら言ってみ?」
 冷凍光線が飛んでくるぞ。
「あはは。それは勘弁。でも、今言ったのはあたしの本心だよ。でもな、今はそれよりも明日香がおかしいことなんだよね」
「どういうふうにおかしいんだ?」
 それがわからなきゃ策を考えようもないんだが。
 しかし、園崎はその問いには困ったように眉根を寄せるだけだった。
「上手く言葉にはできないんだよ。とにかく」
 園崎がそこまで言った時、チャイムが鳴った。
「休みは終わりか」
「うん。とにかくさ、明日香のこと、注意深く見てみてよ。そうすればあたしの言ったことがわかるはずだからさ」
「わあーった。ちょっと気を付けてみるわ」
「うん、お願い。じゃ、後でね」
「おう」
 園崎は席へと戻り、俺も教科書とノートを机の上に置いた。
 さてさて。どんなふうに飛鳥井がおかしいのか、見てみるとしますか。

 チャイムが鳴り、教師が教室からいなくなるのとほぼ同時に、園崎が待ちかねたように丁度空いていた前の席に座った。
「どうだった?」
「園崎の言っていた意味がわかった。……ありゃ、確かに変だ」
「でしょ?」
 俺は頷いた。
 この一時間、飛鳥井を観察してみたんだが――心配されても仕方のないくらい、おかしかった。
 表面上は平常時となんら変わらない。真面目で、成績優秀な風紀委員の飛鳥井だ。しかし、よくよく観察していると、おかしなことに気付く。
 板書を書き写している時も、機械的な動きでただ写している感じ。黒板を見る、ノートに書く、黒板を見る、ノートに書く……これの繰り返し。普通だったら教師の話に頷いたり雑談には笑ったりするはずだが、全く反応なし。その時にはただボーっとしていてシャーペンを動かす手も止まってた。
 さらに、内容が先に進んでも教科書は同じところを開きっぱなしで、捲ろうともしなかった。
 あの分だと、視線も動かしていたのかすら疑わしい。
 そして――おかしな飛鳥井は、今も続いていた。
 何せ、授業も終わり昼休みに入ったというのに、教科書とノートを出しっぱなしにしたまま、シャーペンを握っているのだから。
「一体、どうしたんだ飛鳥井は……」
「さあ。もうお昼なんだから、このままだと食べられなくなるね、明日香。今日も食堂だろうし」
「飛鳥井は弁当じゃないのか」
 飛鳥井が弁当を持ってきているのかどうかなどは知る由もないが。
 ただ、中途半端な時間に姿を学食に現すことは知っている。最初に相談を受けたときもそうだったし。
 それまで何をやっているのかは知らないが、確かにこのままだと園崎の言う通り、食いっぱぐれるのは確実だ。
 ……あ、それは俺もか。
「こうしてても仕方ないな。俺はちょっくらメシを」
 食べてくる、と言おうとして、園崎に遮られた。
「あ、それじゃ明日香の分もお願いね」
「何で俺が」
「明日香をほっといて自分だけ食べてくる気? そんなに非常な人だったっけ、五行君は」
「てめ」
 そういう道を絶つ言い方をするなっ。断れなくなるだろっ。
 半眼で睨むが、園崎はどこ吹く風とニヤッと笑って手を振った。
「優しい五行君は二人分のパンを買ってきてくれるよね〜?」
「飛鳥井を正気に戻せばいいことだろ……」
「無理だって。何度も話しかけたけどさ、まるっきりノーリアクションなんだもん。ありゃ今日一日ダメだと思うよ」
「どうしても俺に買ってこさせる気か……」
 これはいくら反論しても無駄か。早々に諦めたほうがいいな。
 ため息を吐きつつ、立ち上がった。
「んじゃ、買ってくるわ」
「はーい、よろしくね〜。早くしないと、購買のパンもいいのなくなるよー」
「わかってるわいっ」
 俺は園崎に言い返し、足早に購買に向かった。
 くそ、これが飛鳥井のためじゃなかったら、まずいパンを強引に押し付けてやるところだ。

 なんとかそこそこいいパンと飲み物を買って戻ってきたが、飛鳥井は買いに行く時と全く同じポーズでフリーズしていた。
「何やってんだ、あいつは」
 肩をすくめ、自分の席に戻ると、そこで園崎が弁当を広げていた。
「ほらよ。買ってきたぞ」
「あたしに渡してどーすんの。明日香に渡して、明日香に」
「何で俺が。それになぜここで食ってる」
「明日香があんな調子なんだもん。しょうがないでしょ」
「へいへい」
 もう、反論する気にもならん。
 飛鳥井の前の席に移動し、取り敢えず、その顔の前で手を振ってみた。
「おーい、飛鳥井ー。飯だぞー」
 ――反応なし。
 今度は袋からパンを取り出して振ってみた。
「…………」
 やっぱり反応なし。
「ふう。もう、仕方ねえなあ」
 もう昼休みも半分以上過ぎてる。このままだと、昼抜きで午後の授業を受ける羽目になる。
 俺は、飛鳥井の頬を両手で挟んで強引にこっちに向かせ、その顔を覗きこんだ。
「おい、飛鳥井。しっかりしろ」
「……え?」
 どこも見ていなかった飛鳥井の瞳に生気が宿り、はっきりと俺を認識したのがわかった。
「よお。ようやく戻ってきたな」
「え? え? え? ……五行さん?」
「おうよ」
 何が起こっているのかわからないのだろう、目を白黒させている飛鳥井に、ニッと笑いかける。
「え、な、何で、こんな近くに。ど、どうして」
 やけに慌てているのを落ち着かせるつもりで、軽く頬を叩く。
「今説明してやるから。お前が最近、様子がおかしいから――」
 なぜか飛鳥井の顔が引き攣った、その瞬間だった。
「き……きゃああああああああっ!!」
 パシーンッ!
「ぶべっ!?」
 悲鳴と共に左頬を鋭い痛みと衝撃が襲い、俺は椅子から転げ落ちた。
「な、なな、何すんだー!?」
「床に座りこんだ状態で、飛鳥井に指を突きつけた。
 怒るとか痛いとかよりも、「なぜ」という思いのほうが大きかった。いくらなんでも、いきなり引っ叩かれる覚えはないぞ?
「あ……」
 そこでようやく自分の行動に気がついたのか、飛鳥井は自分の手と俺を交互に比べていた。
 周りのざわめきが段々と大きくなる中、オロオロと迷子にでもなったような頼りなさげな表情で立っていたが、くしゃっと顔を歪ませ、泣きそうになると――突然教室を飛び出していった。
「あ、おい! どこ行くんだ、飛鳥井! まだ飯を」
 食ってないだろ、と続けたが、その時にはもう彼女の姿は消えていた。
「何なんだ、一体……」
 本当にあいつ、どうしたというんだ? さっぱりわからん。
 首を傾げながら自分の席に戻ると、まだ陣取っている園崎が廊下を示した。
「早く追っかけなさいって。このまま放っておく気?」
「あのな、それこそ何で俺が、だ。いきなり引っ叩かれたんだぞ?」
 やれやれと頬をさすると、園崎が呆れたようにため息をつき「……この鈍感男」と呟いた。
「は? 鈍感? ……何が?」
「あー、それはいいから。とにかく追っかけてよ。明日香、お昼抜きになっちゃうから。五行君がパン買ってきたんだから、最後まで面倒みなさい」
「そこまで俺に振るか?」
「当然でしょ。そもそもあんな状態の明日香、一人にして置くほど薄情じゃないでしょうが、あんたは」
 いやまあ、確かにあの状態の飛鳥井は何だか気にかかるのは間違いないけどな。
「どこに行ったかわからんのに、宛てもなく校舎内を捜し回れと?」
「大丈夫よ。ああなったら普通、一人になりたいもんでしょ。そんな時、静かであまり人が来なくて、物思いに耽れる場所といったら一つだけだって」
「一つだけ……? ああ、あそこか」
 園崎のヒントにピンと来た。確かにあの場所なら一人になるにはもってこいか。
「わかった? それじゃ、よろしくね。頼んだわよ」
「はいはい、わかりましたよ。乗りかかった船だ。最後まで引き受けようじゃんか」
 教室を出る寸前、振り返って園崎に告げる。
「先生には適当に誤魔化しておいてくれよ」
「任せて」
 手をヒラヒラと振る園崎の声を背に、俺は目的の場所へと歩き出した。
 手にはちゃんとパンと飲み物の入った袋を持って。

 目的の場所に着き、目の前のドアを開けると――視線の先に、背を向けて立つ飛鳥井の姿があった。
「やっぱりここにいたか、飛鳥井」
 わずかに風がそよぐ中、校庭を見下ろす飛鳥井に声をかけ隣に立った。
「五行さん……。よくここにいるってわかったわね」
「園崎のおかげだけどな」
「そう……」
 飛鳥井はそれだけ言うと、再び校庭へと視線を戻した。
 ――ここは屋上。
 普通科の使う屋上だが、もう昼休みも終わるので誰もいない。物思いに耽るにはいい場所だろう。
「ま、ただ突っ立ってるわけにも行かないし、飯食ってないだろ? ほら、持ってきたから食おうぜ」
 俺はフェンスを背もたれにして腰を地べたに着けた。
「……そうね、頂こうかしら」
 飛鳥井も頷いて、ゆっくりと腰を下ろした。
「ほい、好きなの取りな。飲み物はお茶しかないけどよ」
「買ってきてもらっておいて、文句なんて言いません」
 飛鳥井は中からサラダサンドを取って食べ始めた。丁寧に小さく千切って。
「渋いの選ぶね。ほんじゃ、俺はこれ」
 カレーパンにかぶりつく。
「別にそんなつもりはないですけど」
「適当に言っただけだ。気にすんな」
「はあ」
 平らげたカレーパンの空袋を戻し、別のパンを取る。今度は焼きそばパン。
「早く食わないと、なくなるぞ」
 俺はもう二つ目だが、飛鳥井はまだ一つ目を半分も食べていない。
「大丈夫です」
「ならいい」
 俺はそれ以降、食べることに集中し、飛鳥井も殆ど喋らなかった。
 ある程度落ち着いたところで、俺は訊ねてみた。
「なあ飛鳥井」
「何?」
「お前さあ、ここ数日おかしかったのは、俺の両親のことで思い悩んでたんじゃないだろうな?」
 すると――飛鳥井はギョッとしたように大きく目を見開いてこちらを見た。が、すぐに首を振った。
「確かにそれもあるけれど、それだけじゃありません……」
「それだけじゃない? ……なら、少しはあるってことだろ。アホか、お前は」
「アホとはなんですか、アホとは! 私は、五行さんのことを」
 目を吊り上げて反論して来る飛鳥井に、俺は嘆息してその頭に手を置いた。
「誰がお前に悩めって言った。これは俺の問題であって、お前の問題じゃない。そもそもこれは俺の仲じゃとっくに解決してる。だから」
 置いた手で軽く頭を撫でてやりながら、小さく首を振った。
「飛鳥井が思い悩む必要はどこにもないんだ。気にしなくていいんだよ」
「でもっ」
「優しすぎるぞ、飛鳥井。心に抱えすぎだ。もっと気楽に行こうや」
 本当に、もう。こいつは俺こそが優しいとか言ったが、十分に飛鳥井だって優しいわ。自他共々に厳しいのは結局のところ、そいつらのことを思ってのこと。それが伝わるか伝わらないかは別として、ちゃんと思っての行動なのだから。
「で、もう一つは?」
 思い悩んでいるもう一つの理由――それが何なのか、気になった。
 しかし。
「秘密です。言えません」
 あっさり断られた。
 ま、そりゃそうか。簡単に人に言えることなら、あんなに思い詰めることはないもんな。
「ふーん、いいけどさ。どっちにしろ、変に思い詰めるなよ?」
「…………」
 飛鳥井が押し黙ったとき、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
「お。昼休みは終わりか」
 だが、俺は動く気はない。飛鳥井も戻る気はないのだろう、動く気配は見せなかった。
 まあ、今の状態で戻ったところで授業が身に入るかと言えば、甚だ疑問。それがわかっているからこそ、飛鳥井も座ったままなのだろう。
 チャイムがなり終わろうという時、今度は俺の携帯が鳴った。
「……誰だ?」
 着信画面には知らないアドレスからのメール。開いて見ると、それは園崎からだった。
「何々。――クッ」
 表示された文面に、思わず吹き出した。
「どうしたの?」
 怪訝な顔をした飛鳥井に、その文面を見せる――と、飛鳥井は口の端をひくつかせた。
「何ですかっ、これ」
「面白いじゃん」
 文面にはこう書かれてあった。
『先生には、五行君は真なる学校を探してくると叫んで教室を飛び出していったので、明日香が風紀委員として追いかけたって伝えとくね。それじゃごゆっくり〜 園ちゃんより(^。^)』
「園崎も面白い奴だよなあ」
 こんなことを思いつくとは。
「い、いいんですか、五行さんは。なんか、思いっきり変人扱いされそうですけど」
「いいんじゃない。どうってことないさ」
 もともと俺の奇行は有名だ。それが一つ二つ増えたところで、どうということもない。
 それに――。
「つまらん授業を受けるよりも、こうしているほうがよっぽど価値がある。そうは思わないか?」
「風紀委員としてはその発言は看過できませんけどね」
「全く。真面目だよ、飛鳥井は。ま、そういうところは好きだけどな」
 予想通りの答えに、自然と頬が緩んでしまう。全く、楽しいね。
「なっ。す、好きって……いきなり何を言うんですか!?」
「何って……。おかしなこと言ったか?」
「……もういいですっ」
 ぷいっとそっぽを向く飛鳥井。
 何なんだ、一体。
 訊ねてみたかったが、様子から察するに理由を話してくれそうもなかったので、俺は肩をすくめてから手を頭の後ろで組んだ。
「どうでもいいか。こうしているのも悪くないしな」
「そうかも……知れませんね」
 これには飛鳥井も同意見らしい。
「ああ。天気もいいし、風も気持ちがいいし」
「ええ」
「飛鳥井の隣にいるのは居心地がいい」
「え!?」
 驚いた表情でこちらを凝視してくる飛鳥井に、俺はうんと頷いた。
「何でか知らんけど、飛鳥井の隣にいるの居心地がいいんだよな。落ち着くっていうか」
「そ、そうですか」
 俺の台詞に、飛鳥井は俯いてしまった。その顔は心なしか赤い気がする。
 ……どうかしたんだろうか。
「顔赤いが、どうかしたのか?」
「え? あ、いえ、何でもないですから」
「そ、そうか?」
「ええ」
「ならいいけどさ」
 内心首を傾げたが、この分だと訊いてもやっぱり答えてはくれないだろう。俺は訊くのは諦めて、空を見上げた。
 青い空。雲が一つ二つ浮かんでいるだけの蒼穹。
(もうしばらく、こうしててもいいよな)
 俺はゆっくりと息を吐いて身体の力を抜いた。


〜飛鳥井明日香〜

 全く。
 この人は、この人は。
 この人は――!!
『そういうところは好き』
『隣は居心地がいい』
 何でそういうことを、あっさりと何の衒いもなく言えるのだろう。
 こっちはそんな言葉を耳にするたびに、心臓がドキリと跳ね、胸が高鳴り、鼓動が早くなるというのに。
(本当にもう……! ここまで意識しているなんて……!)
 悩んでいたのはご両親のことと――五行さん自身のこと。正確には、私が五行さんをどう思っているのか。
 ……ここ数日、私は自身でもはっきりとわかるほどにおかしかった。ふと気がつけば五行さんの温もり、優しさ、笑顔――それらのことばかり考えている。気が付けば五行さんを目で追っている。
 その繰り返し。
 そして私は、また我知らず、五行さんを見上げて――偶然にも目が合ってしまった。
(…………!!)
 カッと頬が熱くなり、慌てて顔を逸らす。手で頬に触れてみると、熱い。間違いなく、今の私の顔は真っ赤だろう。
 ただ目が合った、これだけのことでこうなるとすると。
(間違いありません、ね……)
 認める、もう認めるしかない。
 進んで認めよう。
 ――この気持ちは。
 私が五行さんに抱いているこの気持ちは――紛れもない、恋。
(…………)
 いつからだろう。
 いつから、私は五行さんに恋をしていたのだろう。意識していたのだろう。
 五行さんの家庭の秘密を聞いた時から? デートした時から? それとも、一夜さんのことを相談した時から好きだったのだろうか。
 少なくとも、無意識に意識していた(矛盾しているけれども)のは間違いない。そうでなければ、私の家庭の事情をあんなに簡単に話すなんて信じられないから。
 私はもう一度、五行さんを窺い見た。相変わらず、五行さんは空を見上げていて、その表情は穏やか。
 それを見ているだけで微笑んでしまう。優しい気持ちになって、いつまでも見ていたいと思ってしまう。
 でも、それじゃダメ。
 見ているだけでは。
 気持ちは伝えないと、どんなに強い想いでも芽吹くことはない。
 だから私は、行動に移ることにした。一刻も早く、この想いを――。
「さて。5限もそろそろ終わるし、戻るか」
「え」
 何か言うより早く、五行さんが立ち上がって階段へ続くドアへと二、三歩足を進めた。
「俺は6限もサボったっていいけど、飛鳥井はそうも行かないだろ」
「……そうね」
 私も立ち上がって埃を落としてから、一歩五行さんに近づく。
「だろ? んじゃ、行くか」
「あ、待って五行さん」
 背を向けかけた五行さんに、声をかけて止める。
「あん? どうした?」
「訊きたいことがあるの。大事なことだから、どうしても今ここで訊いておきたいの」
「……大事なこと?」
 心の中で深呼吸して、口を開く。
「五行さん、今――お付き合いしている人は、いる?」
「はあ!? お前、いきなり何を」
「答えて」
 有無を言わせずに遮る。一度口にした以上、もう止められない、止めるわけには行かない。
「いるわけねえだろ。俺に彼女いるように見えたか?」
 肩をすくめ、やれやれとため息を吐く五行さん。
(そっか、いないのね)
 ほっとした。
「じゃあ……好きな人は、いるかしら?」
「いねえよ。親しい女の子は何人かいるけど、それだけだな」
「そうなの」

 それなら――大丈夫。
「何なんだ? いきなりこんなこと訊いてきて」
 怪訝な表情をする想い人に、私はクスッと笑ってさらに一歩近づいた。
「それなら、いいわよね?」
「何が?」
「私が五行さんの彼女に立候補しても」
「――はっ?」
 ポカーンとなる五行さん。この人がこんな顔をするなんて、今まであっただろうか。
「好きよ、五行さん。――私は、あなたが好き」
「へ? いや、飛鳥井、お前何言って」
「返事は明日で構わないから。声、かけて下さい」
「…………」
 彫像のごとく固まってしまった五行さんの横をすり抜けながら、返事の催促も忘れない。
「それじゃ、私は先に戻ってますから。五行さんもちゃんと出席しなくちゃダメよ」
「…………」
 ドアを通り、階段に足をかける。
 階段をゆっくり降りながら、大きく息を吐いた。
 言えた。ちゃんと告白出来た。後は五行さんの返事を待つばかり。
 五行さん。私は本当に、心からあなたを――。
「神は我を見放したー!!」
 ……引っ叩きたい。


BACKINDEXNEXT
創作小説の間に戻る
TOPに戻る