Simple Life
遠矢君の憂鬱
2話


 思わず口に含んだコーヒーを気管へと流し込みそうになるのを必死に抑え、一夜は「は?」と間抜けな声を上げた。
「だから、明日香の彼氏のこと、何か知らないかって訊いてんのよ」
 次姉は繰り返したが、一夜は首を振るのが精一杯だった。
「そっかー。一夜も知らないかー。仕方ないっちゃあ仕方ないけどさ」
「義姉さんに彼氏って……。ホンマなんか、それ」
 ようやっとのことで疑問を呈したが、そもそもそれは本当のことなのだろうか。
 一夜の知る姉の明日香は、とてもじゃないが男と付き合うようなタイプには見えない。
 恋愛などそっちのけで風紀委員として素行不良の生徒を取り締まっているか、自室で机に向かっているほうが、遥かに想像しやすい。
「当たり前でしょうが。一夜、あんたホントーに気がついてないわけ?」
 茜は呆れたような視線を寄越したが、気がついていないからこそ、驚いているのだと一夜は言いたかった。
「知らんもんは知らんのやて」
「ま、そりゃそっか。でもさ、明日香に彼氏が出来たってのは間違いないと思うわけよ。噂くらい聞いてない?」
「そもそも、どうしてそう思ったんや?」
 それが不思議だった。
 一夜の見た感じ、明日香の様子は普段と別に変わったところは何もなかったように思う。
 だからこそ、茜に呆れられているのかもしれないが……。
「全く鈍感だなー。そんなんじゃ恋人できないよ?」
「大きなお世話や」
「ははは。それはともかくさ。明日香の彼の話に戻るけどね、明日香、近頃よく出かけるでしょ。それも結構なお洒落して」
「まあ、確かに……」
 今日も大人っぽい格好して出かけていったのを、一夜も目撃しているわけだし。
「でしょー。それもウキウキと出かけるからさー、なんか怪しいと睨んでたんだよね」
「女友達と出かけてるんやないのか?」
 まずはそっちの可能性はないのかと思ったのだが、茜はあっさりと首を振った。
「ないない。お洒落だけならその可能性もあるけど、雰囲気が違うんだよね。今言ったようにウキウキしてるし、一人ファッションショーもやってるの見たことあるし、最近ファッション雑誌を凄く真剣に眺めては悩んでるし……」
 あれはどう考えてもデートの時の服について悩んでる姿だった、と断言した。
「姉さんに彼氏……」
「それだけじゃなくって、携帯のメールも何だか嬉しそうにやってるしさ、よく通話もしてるじゃない、最近。私だって女だからわかるんだけど、友達と話したりメールしてる感じじゃないんだよ、あれ。どう見てもね」
「そうなのか?」
「それにさ、明日香の表情、随分と柔らかくなったじゃない? 今までは感情に乏しい感じだったのに、喜怒哀楽がはっきりしてきてるでしょ」
 恋愛やファッションなどには一家言ある姉のことだ。ここまで言うからには自身があるのだろう。
 しかし。
「うーん?」
 一夜は姉の断言に首を捻った。
 確かに思い当たる節は多々ある。あるのだが。
 それでも一夜には想像がつかなかった。あの、飛鳥井明日香に彼氏――。どんな男が姉と付き合えるのか、全くわからない。
「それじゃ、どんな男だと思うんですか、姉さんは」
「明日香の彼氏? うーんそうねえ……。一夜はどんな人だと思う?」
「……俺ですか?」
 逆に問われ、一夜は戸惑ったが想像してみた。
 姉の性格を考えて――導きだしたのは。
「やっぱり優等生タイプの人やないんですか。大人しい感じの」
 それくらいしか思いつかない。
「なるほど。つまり、明日香と似たタイプね?」
「ええ、まあ、そんな感じやな」
 頷くと、姉はニヤニヤと笑って肩をすくめた。
「違う違う。確かに表面だけで見たらそうだろうけどね、明日香が自分と同じタイプの奴と付き合うとは思えないね」
 あっさりと否定され、思わずムッとする。
「だったら訊かんといてや」
「あはは。ごめんごめん。別にバカにしたわけじゃないから。一夜はどう思ってるのかな、と興味持っただけなんだから」
「それで、姉さんの意見は?」
 かく言うからにはそれなりに自信のある答えが用意してあるのだろうと、一夜は訊ねた。
 すると、姉は「うーん」と一旦宙を睨んでからこちらを見た。
「そうだねー。簡単に言っちゃえば、明日香とは正反対のタイプかな」
「正反対?」
「そ。明日香のイメージって、品行方正、成績優秀、教師にも受けがよくて生真面目で、自分にも他人にも厳しい純和風の美人、って感じでしょ?」
「確かにそうやな」
 全くもってその通りだろう。
「だから、その反対の人ってことよ」
「……つまり、素行不良で成績悪くて教師に睨まれてる上に、自分にも他人にも甘い不真面目な奴ってことになるんか? ……ただの不良やないか、そんなん」
 どんな人間なのだ、それは。
「別にそこまでは言わないって。ええとね、不良っていうよりもね、悪戯好きな悪ガキって感じ?」
「悪ガキ?」
 久し振りに聞いた『悪ガキ』という言葉。しかし、高校生にもなって悪ガキはないんじゃないだろうか。
「そそ。そんな感じ。生真面目な明日香のことだからさー、そういう感じの男の子の方が上手く行くし、お似合いだと思うんだよね。で、どう? 心当たり、ない?」
「そうやな……」
 一夜が不良、と聞いて真っ先に思い浮かべたのは、あの四人組。聖嶺学園に通う者なら誰しもが一夜と同じく、あの四人組を連想するだろう。
 不良=四人組、みたいな構図が出来あがっていることでもあるし。
(――違うな)
 しかし、一夜は自らそれを打ち消した。
 姉の明日香が、あの四人組の誰かと付き合うというそれ自体が想像できない。そもそも、茜の言った『悪ガキ』というイメージからも遠くかけ離れている
 そんな微笑ましくもあるイメージではなく、完全なる不良――それが皆の抱くイメージだろうし、事実だろう。
 となると。
(悪ガキ、悪戯好きから連想すると……)
 ……一人いる。
 完璧なまでに、『悪戯好きな悪ガキ』というイメージとぴったりハマる男子生徒が一人。
 可能性はある。次姉の言う人物像にともそこまでは離れていない気もするし。というか、いくつも当たっているくらいである。
(……まさかな)
 さっきとは異なり、違う、と断言できないのがもどかしい。
 というよりも。
(あの人がもし、姉さんと本当に付き合っているんやとしたら……)
 色々な騒動に、自分も巻き込まれかねない。
 正直に言って、それが恐ろしい。
「おお? その様子からするに、心当たりがあるんだね一夜?」
 急に黙ってしまった一夜を目聡く看破する姉。
 仕方なく、一夜は頷いた。
「まあ、あるといえばあります。でも、確信やあらへんし」
「ああ、別にいいよ、それは。今、何が何でも知りたいわけでもないし」
 意外な事に茜は手を振って首も横に振ったので、これには一夜の方が逆に驚いてしまった。
「いいんですか?」
「いいのいいの。あ、でもさ、一夜」
「はい?」
「その心当たりにさ、それとなく探り入れといてね。知りたいことは知りたいから」
 事も無げに調査を命じる姉に、一夜は半眼になった。
「つまり、『今は』何が何でも相手が誰かが知りたいわけじゃないけど、近いうちには知りたい、と。そういうことやな?」
「ご名答。んじゃ、よろしくね」
「よろしくってな。簡単に言うな。そもそも、何で知りたいんや」
 同性の姉だからこそ、ということなのだろうか。
「んー? そんなの決まってんでしょ。証拠をバッチリ集めて言い逃れできないようにしてから白状させんの。そうしてから家に連れてこさせんのよ」
「……悪趣味や」
 ニヤニヤと決して品がよいとはいえない笑みを見せる姉に、一夜はげんなりと呟いた。
 そんなことをして何が楽しいのか、さっぱり理解できない。
「何言ってんのよ。明日香の彼氏ってことは、将来、一夜の義兄になるかも知れないのよ? 品定めはあんたもしておくべきでしょうに」
「何が品定めや。単純に楽しんでるだけやろ。義姉さんの彼氏がどんな男か」
「あははー。まあそういうことだけどねー。だってさ、あの明日香がよ? 彼氏作るなんて思ってもみなかったんだからね。こっちだって楽しみになっちゃうんだってば」
「やっぱり悪趣味や」
 一夜は諦めのため息をつき、心中でそっと呟いた。
 ――姉さんも気の毒に。



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