「逆だろ」
「え?」
「謝る順番が違うんじゃないのか」
「……どういう、こと?」
 何を言われているのかわからないのだろう。千尋は何度も瞬かせ、首を傾げて亮祐を見た。
「小笠原さんの言い方だと、俺のことが好きだから、この前の『ラブレター事件』のことを謝りに来たって聞こえるんだよ」
「……え?」
 千尋の表情が凍りつく。
「つまりさ。俺のことが好きでも何でもない奴だったら謝りになんて来なかった。あの三人と同じように俺を笑い者にして、罪悪感なんてこれっぽっちも感じない――そういうわけだろ?」
 自分でも嫌な言い方だなあと実感する。こんな言い方をしなくても、もっと優しい方法もあるだろうに。
 しかし、ここでやめるわけには行かない。はっきりさせさければならないのだから。彼女の覚悟のほどを。
「違う――!」
「何が違うと? 俺は同じだと思うんだけど?」
 即否定してきた千尋に、亮祐は至極冷静に言い返した。
 好きだから謝りたい。好きだからこそ、嫌われたくない。
 なら、その逆は。
 好きでもないから謝らない。好きでもないから嫌われてもいい。
 千尋の言い方は、そう取れてしまうものだ。
「小笠原さん、君は」
「違う。それは、絶対に違う」
 遮ったのは、静かな声だった。
 それを発した千尋は、亮祐が鼻白むのを気にも留めず 声と同じ静かな、それでいて力強い眼差しでじっと見つめてきた。
「ううん、きっと長塚君の言うことも合っていると思う。否定はしないよ。そういう考えもあったと思うから。でも、それだけじゃないことも言い切れる。仮に私が長塚君のことを何とも思っていなかったとしても、必ず謝りに来たよ。怒鳴られたって、罵られたって、それは報いだと思ってちゃんと受け入れる。私たちがやったことは悪戯とかの言葉で片付けていいものじゃないから。それは断言できる。誓ってもいいよ」
 はっきりとした、揺るぎのない声だった。
 それに、と千尋は続けた。
「私がなかなか来られなかったのは、今言った通り、長塚君のことが好きだから。その、嫌われているんじゃないかって思うと、怖くて。でも、不愉快な思いをさせて本当にごめんなさい」
「驚いたな……」
 正直、亮祐は千尋に圧倒されていた。
 こうまで、しっかりと自身の恋愛感情について、確固たるものを持っているとは思ってもみなかった。ただ、千尋の心の内を吐き出させたかっただけなのだが、それ以上のものが帰ってきたことは間違いない。
「わかってくれた?」
 千尋は優しく笑いかけてきた。
「――悪かった」
 亮祐は素直に頭を下げた。
「うん?」
「試すっつーか、引っ掛けるようなことをして悪かった。俺もまだ小笠原さんたちに対するわだかまりというか、怒りがまだ残っているからさ」
「あ、うん。大丈夫、いいよいいよ。長塚君の立場からしたら当然だもん。気にしないで」
 亮祐の謝罪に、千尋は慌てたようにパタパタと手を振った。
「そっか。ありがとう。なら、俺は小笠原さんを信じる。あのことはもういいよ、水に流すから」
「それって」
 千尋が目を見開き、亮祐は頷いた。
「ああ、あれのこと。でも小笠原さんだけな。いくらなんでも謝りにも来ない奴らを許すほど俺は寛容じゃないし、器もでかくない」
「うん、わかってる。それは璃々ちゃんたちの問題だし。でも、一応謝るようには言っておこ」
 効果は薄いけどねーと、千尋はため息混じりに言った。
「謝りそうもないからな、あの三人」
 千尋も自信も罪悪感まるでなしと言っていたし、謝ってくる確率は限りなくゼロに近いだろう。
「そうなのよね。……あ、それは今はおいておいて。その、長塚君?」
「あん?」
 千尋の声のトーンが今までとはガラリと変わり――亮祐は首をかしげた。

〜合縁奇縁のミルフィーユ〜
9話 折れない想い

 千尋が次の言葉を発したのは、それからたっぷり三十秒は経ってからのことだった。
「私と、そのー、お付き合いとか、そっちの話なんだけど……」
「そっちか」
「その……してくれる気は……ある?」
「それは」
「あ、もちろん嫌だったら断ってくれていいし! 最初から彼氏彼女の関係がダメだったら、友達からでも始められたら嬉しいけど――」
 不安がそうさせるのだろう、千尋は捲くし立てるように一気に喋り、言い終えるとぬるまったコーヒーをこれまた一気に飲み干した。
 そして、は〜と息を吐いた。
「俺と付き合いたい、か」
「う、うん。私は長塚君とお付き合いしたい」
 期待を込めた瞳で、亮祐をじっと見つめる千尋。その瞳からわずかに視線を逸らし、亮祐はポツリと言った。
「やめとけ」
「え」
 何を言われたのか理解でないらしく、千尋は目をパチクリとさせた。
「やめとけって言ったんだ。俺と付き合いたいなんて、悪いことは言わない。やめといたほうがいい」
「どういう、こと?」
「そのままの意味だよ。俺と付き合ったら必ず後悔する。バカなことをしたって思う。だからさ。これは小笠原さんのためを思って言ってる」
 亮祐は口の端に自嘲の笑みを浮かべ、首を振った。
「――何、それ」
 千尋から表情が消える。何の感情もない、平坦な声がこぼれ出る。
 冷たい視線が亮祐を射抜こうとするかのように突き刺さるが、怯むことなく見返す。
「好きになんてならなきゃよかった、恥だ、抹消したい……。そんなふうに思うってこと。これは間違いないよ」
「つまり……私が長塚君を好きになったのは、一時の気の迷いだって言うのね?」
「そんなところ。いずれ小笠原さんもそう思うはずだ」
 飲み込みが早い、と亮祐は感心し、カップに残ったコーヒーを飲み干した。
 チラ、と千尋に視線を向けると、ショックなのか思い当たる節があるのか、俯いて肩を震わせている。
 とにかく、これで終わったなと亮祐は思った。
 後はこのままここから立ち去ればいいかと思い、鞄を手に――。
「ふ・ざ・け・な・い・で!」
 だが。
 その行動は、千尋の強い声で遮られた――。


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