それを聞き、三人はあんぐりと口を開けた。
『別れたあ!?』
「声が大きい」
 亮祐は顔をしかめ、人差し指を唇に当てた。
 放課後で教室には誰もいないとはいえ、どこで誰が聞いているかわからない。
「ああ、悪い……。それはそうと! 何でいきなり別れるとかになるんだよ? 今度デート行くって言ってたじゃんか、リョウ!」
「そうだぞ、長塚。嫌な雰囲気吹き飛ばすって乗り気だったじゃないか、お前も小笠原さんも。それが何で」
「どうしてそんなことになったのよ? ちゃんと説明して、長塚君」
 口々に別れた理由を求めてくる英治たち。
 亮祐は三人の顔をゆっくりと見回し、口を開いた。
「もう、疲れたんだよ。彼女と付き合うのが。毎日受ける嫌がらせに、もう疲れた。だからだよ」
「……疲れた?」
 英治が怪訝な顔で呟く。
「ああ」
「嘘付け」
 頷いた途端、即座に否定された。
「? 何で嘘になるんだよ。俺は毎日嫌がらせを受けてたんだぞ。それがもう限界に来たから、小笠原さんに別れを言いに行った。これのどこが嘘なんだ?」
「殆んど――つーか、全部」
「は?」
「全部だよ、全部。リョウの説明、自分じゃそれなりに尤もらしい理由付けてるけど、何の説明にもなってねえぞ。――なあ?」
 英治は言いながら肩をすくめ、清と穂乃果へ同意を求めた。
「ああ、高見沢の言う通り」
「全く同感。長塚君、何考えてんの?」
「何って。 そんなにおかしいか? 俺が付き合いをやめたことが」
 自分と千尋の釣り合いが取れていないことは、英治たちもわかっているだろうに。それなのに、なぜ、付き合うことをやめたという報告にここまで動揺しているのか。
「おかしいに決まってるだろ。お前も小笠原さんも、いい雰囲気だったじゃねえかよ。それが、いきなり『別れた』と言われたって。こっちは『はい、そうですか』なんて納得できるわけねーだろ」
「俺と彼女は、元々『お試しで』付き合って――」
「だからっ。そんなことは百も承知だっての。俺が言いたいのは、そんなこと感じさせないくらいにお前と小笠原さんがいい雰囲気だったってことだよ。普通のカップルに見えたぜ? ――なあ?」
「うん。ホント、二人はお似合いのカップルに見えたよ? なのに、何で?」
「長塚」
「ん?」
 清が静かな声をかけてきたので、顔をそちらへ向ける。
「もしかしてさ。お前、嫌がらせのターゲットが俺たちもなったことを気にしてるんじゃないだろうな?」
「!?」
 ズバリと言い当てられ、亮祐は反射的に息を飲んだ。
「そうなのか。いや、そうなんだな、長塚?」
「そうだったのか、リョウ!?」
「そうなの!?」
「そ、それは」
 思わず口篭ると、穂乃果がずいっと顔を寄せてきた。
「ちょ! 阿部さん、顔! 近い近い!」
「そんなことは今はいいの。キヨちゃんの質問に答えて、長塚君。本当に、私が受けた嫌がらせとかのせいなの? 教科書を破られたりしたことが原因なの?」
「いや、だからそれは」
 違う――と否定しようとしたが、言葉が出なかった。
 それは、事実なのだから。そして、詰まった以上、それは白状したも同じこと。
 亮祐の様子を見、すぐに察したのか、穂乃果は嘆息すると腕を組んで天井を見上げた。
「もう。気にするなって言ったのに……」
 穂乃果は天井をひと睨みすると、そのままの視線を亮祐に向けた。
「な、何?」
「もう一度言う。私はあんなこと気にもしてない。それと、私は小笠原さんと別れるのは大反対だから。それだけ。――キヨちゃん、帰ろ」
「え? あ、ああ」
 穂乃果は鞄を持つと亮祐を見ることもなくさっさと教室を出ていき、清が慌てて後を追っていった。
「じゃ、じゃあな、長塚!」
 一瞬振り返り、挨拶だけして清は視界から消えた。
「……俺らも帰るか」
 英治が苦笑いを浮かべながら言うが、亮祐は首を振った。
「悪りい。今日は一人で帰るよ」
 とてもじゃないが、今は誰かと帰る気にはならなかった。
 一人で静かに、一人になりたかった。
「……わかった、じゃあ俺も帰るわ、じゃな」
「ああ」
 英治も素早く鞄を持つと教室を出――扉のところで足を止めた。
「リョウ」
「?」
「俺も阿部さんと全く同じ考え。別れるだなんて反対だ。――また明日」
「――――」
 シン、と静まり返った教室で、一人残った亮祐はゆっくりと目を閉じた。
「俺だって、別れたくなんかない……。でも」
 ギュッと爪が拳に食い込むほどに握り締める。
「これしか、ないんだ――」

〜合縁奇縁のミルフィーユ〜
35話 Hegehog dilemma

 一体、どれくらいここにいるのだろう。
 どれくらい泣いていたのだろうか。
 既に放課後になったことはわかっている。わかってはいるが、ここ――屋上前の踊り場――から動く気にはなれなかった。
「うう、やだよぉ……。これでもう終わりだなんて、嫌だよ、長塚君……」
 ヒック、ヒックとしゃくりあげる。
 泣き止まなければとは思うのだが、亮祐のことを思うと、泣かずにはいられなかった。
「でも、どうすれば、長塚君とまたお付き合いできるんだろう……」
 ぼんやりと考えていると、スッとハンカチが差し出された。
「え?」
「ちっひー。まずは涙を拭こう?」
 視線を上げると、そこには心配そうに眉を寄せた椿の姿。
 その両脇には純子と――璃々の姿もあった。
「椿ちゃん。純ちゃんに……璃々ちゃんも」
「ええ。大丈夫……?」
 璃々は少しだけぎこちなく微笑んでいた。、
「うん。ちっひーが戻ってこないからさ、探しちゃった。純子はもちろん、璃々も心配してね。方々探し回ってようやく見つけたと思ったら、こんなとこで泣いてるし……」
 椿は千尋にハンカチを押し付けると、真剣な面持ちになった。
「ちっひー。どうしたの? ううん、違うね。長塚と、何があった?」
「…………」
「言っとくけど、何もなかった、なんてのはなし。正直に言って」
 千尋は涙を吹きつつ、三人の顔をゆっくりと見ていった。
 誰もが心配そうな目をして、気遣わしげに眉を寄せている。
 そこにあるのは、ただただ千尋を、親友を心配している温かな心があった。
「……うん。あのね……」
 皆にはちゃんと話すべきだろう。
 そこのことを口に――心に浮かべるだけで叫び出しそうになるが、仕方がない。
「うん。何があったのさ?」
「私――私ね」
「うん」
「私――長塚君に、振られちゃったぁ……」
 無理矢理に笑顔を作り、それだけを告げる。
 だが。
 振られた――そのことを口にした途端、せっかく止まった涙が溢れてきた。
 この涙は、自分では止められそうにもなかった。
 止める方法など、わからなかった。


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