しばらく、沈黙が続いた。
 授業の始まりを知らせるチャイムが鳴り響いたが、二人とも動こうともしなかった。
「お、終わりにしようって……どういうこと――ううん。どうして!?」
 震える声が千尋が訊ねてくるが、亮祐の表情は硬かった。
「もう無理だから。俺には、この関係を続けていくことはできないから」
「な、何で? どうして!?」
「…………」
 亮祐は黙ったまま、千尋から目を逸らした。
「何か言ってよ!」
「…………」
 はっきりと理由を言わない亮祐に、痺れを切らした千尋が金切り声を上げるが、それでも黙ったままだった。
「ねえ……。何でなのか、理由を言ってよぉ……。わかんないよ、言ってくれなくちゃ……」
 まるで迷子になった幼子のような顔で、千尋は問い掛けてきた。
「それは……」
 理由を言おうとして――亮祐は言い淀んだ。
 この理由を言っていいものかどうか……。
「私のこと……嫌いになった?」
「そんなことはない!」
 その問いは即座に否定する。
 千尋を嫌いになったなどとは、絶対にないのだから。
「じゃあ……どうして?」
「――巻き込みたくないんだ……」
「え……?」
 千尋は驚きの表情になり、目でその理由を問うた。
「あいつらを……巻き込みたくないんだよ……!」
 一度口にした以上、言わないわけにはいかず、亮祐は吐き出すように告げた。
「あいつらって……高見沢君たちのこと?」
「ああ」
「でも、巻き込みたくないって……あ!」
 千尋は今気が付いた、と目を大きく見開き、すぐに眼を伏せた。
「…………」
「それって……。きっと――ううん、長塚君が受けてる嫌がらせのこと、だよね……?」
「――! 知ってたんだ……」
 千尋が嫌がらせについて知っていたことに驚いたが、考えてみれば、知っていても不思議ではないかもしれない。亮祐と付き合って入ることについて止めるように言うとか、いらぬお節介をかけていた者もいたかもしれないのだから。
「うん……。どこのクラスかは知らないけど、話しているのを聞いたの。長塚君に嫌がらせをしようって。その人たち、笑ってた。私の大切な人を傷つけているのに、笑ってた……!」
 千尋が吐き出すように言った。
「知ってるんなら話は早い。つまりそういうことだよ。その嫌がらせが俺だけじゃなくて、あいつらにも被害が及び始めてる。俺だけならいい。けど……友達がそんな目に遭うのは真っ平ごめんだ。だから――」
「だったら! 私が謝る! 高見沢君たちに謝るから! 許してもらえるように謝るよ! だから――」
「小笠原さんが謝る必要はないだろ?」
「だって……! 私とのことが原因なんでしょ……?」
「それは……」
 亮祐は詰まった。
 確かに、根っこを探れば千尋とのことが原因なのだろう。
 しかし、あくまでも『千尋とのこと』が原因なのであって、『千尋が』原因なのではない。
 故に。
「ね? 私がみんなに謝るから……。だから……付き合うの止めるなんて、言わないでよぉ……。やだよ、こんなことで終わりなんて……」
 震える声で千尋は縋るように言い、一歩近づいてきた。
 だが。
 亮祐は――逆に一歩退いた。
「ごめん……」
 静かに呟き、首を振る。
「そ、そんな……。長塚く」
 伸ばされる手を振り払うように亮祐は千尋に背を向けると、ゆっくりと階段を降りていった。
「待……!」
 その声にほんの一瞬、足を止めかけるが、すぐに足を進めていく。
「今までありがとう。楽しかったよ」
 振り返ることもなくそれだけを告げ、亮祐はその場を離れた――。

〜合縁奇縁のミルフィーユ〜
34話 苦渋と悲しみ

 亮祐を求めて伸ばした手は、決して届かず虚しく宙を掻く。
「待って……待ってよぉ……!」
 震える声も想い人には届かず。
 亮祐の姿が完全に視界から消え――千尋は、糸が切れたようにペタンと力なくへたり込んだ。
「やだ……いやだよ……。長塚君……」
 言葉と共に込み上げる想い。
 切なさが涙を溢れさせ。
 視界がぼやけていく。
「うあああああああああああああああ!!!」
 千尋の叫びが。
 悲しく響き渡った。

「ちっひー、帰ってこないな。どうしたんだろ」
 ぽつんと座る者のいない椅子が、なんだか寂しげに見え、椿は首を傾げつつ呟いた。
 まさか、授業をサボって二人でお出かけ――なんてことはあるまい。千尋は真面目だし、荷物も置いたままだし。
「……保健室でイチャイチャ――なんてこともないよねえ。長塚も奥手だし」
 そもそも、そんなことができるくらいなら、もっと早く二人の仲は進展していることだろう。
 こっそりと千尋にメールを打ってみるが、返信なし。
「……ま、いっか。話が弾んで戻るタイミング忘れてるだけっしょ」
 気楽に結論づけ、椿は携帯をポケットにしまった。
 二人が、そんなことになっているなどとは、夢にも思わずに。

 英治は、戻ってきた亮祐の姿を眺めつつ、顔をしかめた。
「何なんだ、リョウの奴。妙に硬い表情してたけど……」
 性格には、硬いというより、思い詰めた表情、といったほうが正しいか。
「小笠原さんと何かあったのか……」
 穂乃果の教科書の件で、かなりショックを受けたのは間違いない。
 だが、当の本人の穂乃果が気にしていないのだから、そこまで気に病むこともないと思うのだが……。
 ――放課後に、ちゃんと話を聞いてやればいいかな。
 愚痴でも惚気でも聞いてやろう。
 英治もそう結論づけ、授業に耳を傾けた。
 その報告を耳にするまでは、深く考えることもないままに。


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