移動教室の帰り、亮祐は英治や清たちと歩いていた。
「へえ。デート行くのか」
「……デートって程じゃないかもしんないけど、出掛けてみようと思ってさ」
「それをデートと言わずしてなんと言う」
「だよねー」
「男と女が遊びに出かけたらデートだろうに」
 英治たちにニヤニヤとからかわれつつ、亮祐も笑った。
「ちょっと変な感じだしさ。気分を変えようと思って」
「いいんじゃないか?」
「うんうん。長塚君と小笠原さん、ここ最近周りのせいでギクシャクしてるでしょ。気分転換になるから出掛けるべきだよ」
 清と穂乃果も諸手を挙げて賛成してくれる。
「二人の言う通りだぜ、リョウ。こんなつまらないことで関係が終わっちまうの、勿体ないだろ。二人で遊んでさ、いやな雰囲気吹き飛ばしてこいよ」
「……つーか、俺と小笠原さん、正式に付き合っているわけじゃないんだけど」
「『お試し』で『付き合って』いるんだろうが。変に考えるなよ。いいから、気楽に遊んでこい」
 英治にやれやれと首を振られる。
「――だな。わかった。もう誘っちゃったし、楽しんでくるよ」
「ああ。そうしろそうしろ」
 ――などと。
 お喋りしつつ教室へ戻り。
 次の授業の準備をするために、穂乃果――危険分散のため、教科によって預ける相手を分けた――の元へ。
「阿部さん。教科書とノート、いい?」
「はいはい。ちょっと待ってね、今ロッカー開けるから――」
 教室の後ろに設置されているロッカーを開けた途端、穂乃果が固まった。
「どうしたの、阿部さん」
「…………」
「阿部さん?」
「……やられた」
「え?」
 穂乃果は硬い表情でロッカーから教科書をノートを引っ張り出すと、足早に席に戻り、机に並べた。
「これ、見て」
「おい――」
 亮祐は、並べられた教科書とノートを目にし、言葉を失った。
 数学の教科書とノート。
 それが表紙のみならず、中まで落書きされ、黒く塗りつぶされ、刃物で切り裂かれていた。
 二組とも。
「私のも長塚君のも駄目ね。読めやしないわ。……全く、陰湿なんだから」
「あ、あの、阿部さ……」
 穂乃果は肩をすくめると、清の元へ歩いていった。
「キヨちゃん、ごめん。後でさ、教科書コピーさせて」
「? どうした?」
「実はさ――」
 穂乃果が清に説明するのを、亮祐はぼんやりと眺めていた。
 ――俺の、せいだ。
 亮祐は目を閉じ、ギリ、と歯を噛み締めた。
 自分が教科書を預けなければ、穂乃果にまで被害が及ぶことはなかった。
 自身が嫌がらせを受けることは、まだいい。自分で選んだ結果なのだから、自己責任だ。しかし、穂乃果は違う。
 亮祐と千尋を心配してくれた、心優しい友人。
 大切な友人なのだ。
 ――考えが、甘かった。甘すぎた。
 まさか、嫌がらせが穂乃果たちにまで及ぶなんて思ってもみなかった。いくら何でも、無関係友人たちまで巻き込んでしまうとは考えていなかった。
「そこまで考えるべきだった……くそっ」
 ギュッと拳を握り締めたとき、穂乃果が戻ってきた。
「イヤー、参ったわね。ここまでされるなんて思ってなかったわ。あ、長塚君。今ね、清ちゃんと高見沢君にコピー頼んで、教科書も貸してもらったから、これ使ってよ。私は隣の子に見せてもらうから」
 自分の教科書まで被害にあったというのに、全くそれを感じさせない明るい口調。むしろ、亮祐を気遣う思いやりに溢れていた。
 わざわざ教科書を清から借りたのも、亮祐のことを思ってのこと。
 亮祐に対して文句を言って当然なのに――。
「阿部さん――」
「ん? どしたの?」
「ごめん――。本当に、ごめん……」
「気にしないの。長塚君が悪いわけじゃないでしょ。 悪いのは、こんなことをやった連中。長塚君は胸を張っていればいいんだよ?」
 片目を瞑り、ポンと亮祐の肩を叩く穂乃果。
 だが今の亮祐には、その優しさが、胸に痛かった。
「――――」
「長塚君?」
 押し黙った亮祐を怪訝に思ったのか、穂乃果が顔を覗きこんでくる。
「もう、いい……。もう……」
「え? 何がもういいの?」
「もう、終わらせてくるよ……」
「――へ?」
 キョトンとした穂乃果を一瞥し、亮祐は透明な笑みを浮かべた。
「阿部さん、ごめんね。これ以上、何もないようにしてみせるから」
 亮祐は早足で教室の外に向かった。
「ちょっと!? 長塚君!? もう授業始まるよ――って、どこ行くのー?」
 慌てたような穂乃果の声を背に、亮祐はある場所へ向かった。

〜合縁奇縁のミルフィーユ〜
33話 悲しき決断

 亮祐によって半ば強引に連れ出された千尋は目をパチクリとさせた。
「どうしたの、長塚君」
「ああ、実はな」
 亮祐は静かに深呼吸し、千尋を見つめた。
「話がある」と言って屋上手前の踊り場まで連れ出したのは、奇異の目で見られないため。
「うん? あ、もしかして、今度のデートのこと? あは、まだ決めてないよ〜。今日明日にでも決めるから――」
「中止にしたいんだ」
「え?」
「行くのをやめたいんだ。今度の……デート」
 その言葉に千尋は目を見開いた後、落胆したようだったが、すぐに笑顔になった。
「何か予定でも入ってたの? 仕方ないね、デートはまた延期に――」
「そうじゃないんだ」
「そうじゃない?」
 首を傾げる千尋へ、亮祐は小さく頷いた。
「デートだけじゃなく……もうやめにしよう、この付き合い。終わりにしよう」
「――え」
 千尋の表情が凍りつき、その整った唇から空虚な声が漏れる。
「この『お試し』の付き合い。もう無理だ。今日で終わりにしよう――」
 告げる亮祐の声も、千尋以上に空虚だった。


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