トイレから戻り、亮祐は清に声をかけた。
「坂もっちゃん」
「ああ、長塚。次の数学の教科書とノート」
「悪いね」
「気にすんな」
 清から教科書とノートを受け取り、亮祐は自分の席へ。
「ふう。……面倒なことになったもんだ」
 亮祐はため息を吐いて、その二つを見つめた。

〜合縁奇縁のミルフィーユ〜
32話 状況打破への足掻き

 一体、亮祐が何を悩んでいるのかというと。
 もちろんそれは、続いている嫌がらせのことであり、教科書やノートに被害が及び始めたのである。
 悪戯書きは言うに及ばず、隠される、破かれる、ゴミ箱に捨てられる……様々な嫌がらせがこれでもかというくらいに降りかかっているのである。
 それを見兼ねた英治たちが亮祐の教科書やノートを預かってくれ、授業ごとに渡してもらう、というふうにしてくれたのである。
 正直、無関係の英治や清たちを巻き込むのは気が引けたが、「気にするな」の一言で受け入れてくれたのは有り難かった。
「そのうちお礼しなくちゃなあ」
 こんな状態なのに、全く気にする素振りなど見せずに友達としてく付き合ってくれている英治たち。
 近い内に、何かしらの礼をすべきだろう。
 本人たちは「水臭い」と笑うだろうが。
「まあ、この問題が片付いたら、だけどな……」
 比較的まだ被害に少ない数学の教科書とノート。
 亮祐はそっとため息をついた。

「…………」
「…………」
 黙々と弁当を食べる亮祐を、同じように千尋は黙って見つめていた。
「はい、お茶」
「サンキュ」
 中庭での、昼食。
 本来であれば、楽しく談笑しながら過ごすべき時間であるのに、今の二人にはその様子は微塵もない
 むしろ――ある種の緊張感が張り詰めていた。
 表面張力のみで耐えている、コップいっぱいの水のような――。
 その緊張感の理由――それはもう、二人ともとっくにわかっている。
 だがお互いが、お互いのみがそれを知らない。
 それが、より一層強めてしまっている――。
「ふう。ご馳走様」
「うん、お粗末さまでした」
 それでも昼食を終えると、笑顔を浮かべた亮祐に千尋は内心ほっとしながら、手作りのクッキーを差し出した。
「これもどうぞ、長塚君。よかったら……」
「ああ、貰うよ、ありがと」
 亮祐は快く受け取ってくれ、美味しそうに食べていた。
 千尋も微笑みを浮かべつつ、空の弁当箱を片付けた。
「しかし、中庭に戻ってきてよかったよ。うるさいのがいないし」
「最近、注目集めちゃってたから……」
「そうだな、嫌な目にもあったし……」
「え?」
 ボソッと呟いた亮祐の言葉を千尋は聞き逃さず、素早く訊き返した。
「あ、いや、何でもない」
「嘘。今何か言ったよね?」
「言ってないって」
「………」
 だが、亮祐はなんでもないと首を振るばかりで、疑問には答えようとはしなかった。
「そう。何でもないならいいんだ」
 仕方なく、千尋はこれ以上訊ねるのをやめた。
 訊いたところで、答えてはくれないだろうから。
「うん、何でもない。……ああ、そうだ小笠原さん」
「ん、何?」
「今度またさ、出かけないか?」
「え?」
 亮祐が何を言っているのかと、千尋は目を丸くした。
「だからさ、今度の日曜んでも遊びに行かないかって」
「本当?」
「嘘言ってどうすんのさ。どう?」
「行く! もちろん行くよ!」
 千尋は一も二もなく頷いた。
 こんな状態なのに、遊びに行こうと誘ってくれている。それが何より嬉しい。
 それに、鬱々とした心を吹き飛ばすいい気分転換にもなるだろう。
「うん、良かった。じゃあ、行く場所は小笠原さんが決めてくれ。前回は俺が行きたいところに行ったから、今回は小笠原さんが行きたいところに行こう」
「え、いいの?」
「ああ。今度は俺が付き合う番だと思うから」
「……うん、ありがと! えへへ、楽しみだな。デートの場所考えておくね?」
 我知らず笑顔になり、先ほどまでの重い空気はどこかへ吹っ飛んでいた。
 きっと、このことが現在の状況を変える切欠になる――。
 千尋はそう思ったし、そうなることを心から願った。
 それが淡い願いであることを重々わかっていながらも、願わずにはいられなかった。


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