Simple Life
〜遠矢君の憂鬱〜
7話

 たわいもない話をしている恋人と、自分の姉を見て、明日香はほっと安堵の息を漏らした。
(――よかった)
 匠のことだから、変なことでも言うのではないかと正直冷や冷やしたが、そんなことはなく、むしろ礼儀正しく姉の相手をしている。
「なるほど。でさ、明日香のどこが好きになって付き合おうって思ったの?」
「どこと言われると困りますね。俺は明日香の――彼女の全部が好きになったから、ですかね。言うなれば」
「ほっほう? 全部、全部ときたか……。こりゃ相当だわ」
 茜はニヤッと笑うと、明日香に向かってサムズアップをしてみせた。
「……? それはどういう意味ですか、お姉様」
 意味がわからず、明日香は首をかしげた。すると、姉はニヤニヤしたまま、
「明日香の全部が好きだって言うからよ。それだけ明日香に惚れてるってことでしょ。女冥利に尽きるわねえ」
「なっ――」
 その言葉に、かぁっと顔が火照る。
 思わず匠を見ると、照れたように頬を掻いていた。
「あはははは。二人とも照れちゃって、まあ。初々しくてお似合いだわ、あんたら」
 茜は愉快そうに笑うと、手ずからお茶を入れ直し、匠に差し出した。
「いただきます」
「はい、どうぞ。で、訊きたいんだけど。付き合うきっかけって何? 明日香の話を聞く限りじゃ、二人に接点はないように思えるんだけどね」
 その質問に、匠が一瞬動きを止め、チラッとこちらを見た。
 明日香は匠に頷いてみせ、口を開いた。
「私が一夜さんとのことについて相談したのがきっかけです、お姉様」
「……へ? じゃあ、明日香と一夜の関係について、五行君は知ってるってこと?」
「あらら」
 茜と紫は顔を見合わせ、目を瞬かせた。
「ええ、知ってます。相談受けた際に聞きましたから」
 なんてことはない、というふうに匠は頷き、明日香も頷いた。
「相談する以上、話す必要があったので。でも、そのお陰でいいアドバイスをいただけたんですよ、お姉様」
「……アドバイス?」
「はい。一夜さんとのお茶会。あれは、匠さんのアイデアです」
「あら、そうなの?」
「おやおや。こりゃびっくり」
 紫と茜が軽く目を見開き、匠へ視線を送る。
「ええ、まあ。話を聞いた感じでは単にコミュニケーション不足に思えたので。もっとよく話せば問題ないかと。遠矢自身、多弁なほうではないでしょうから」
「なるほど。それでお茶会か」
「無理にでも色々と会話をさせようってことだったわけか」
「そういうことです」
 匠は頷き、ポン、と明日香の頭に手を置いた。
「あら?」
「ほほう?」
「ただ、俺はアドバイスをしただけで。今の遠矢との友好関係を築いたのは、明日香を始めとする皆さんの努力のお陰ですよ。俺は何もしてませんから」
「匠さん……」
 明日香はじんわりと心が温かくなるのを感じ、ニッコリと匠に微笑みかけると、向こうも優しく微笑んでくれた。
「……かーっ!」
 それを見た茜がやってられないとばかりに天を仰いだ。
「姉の前で、ねえ」
 紫もやれやれと首を振った。
「……あ!」
「……たはは」
 二度目の愛の醜態晒し。
 明日香はさすがに穴があったらのならば、入りたい気分になった。
「全く、あんたらは。いちゃつくのは二人のときにやって。今はこっちの話に付き合いなさいね」
『はい……』
 二人は素直に頷くしかなかった。

 その後はさすがに妙な展開はなく、明日香と匠の付き合いの進行度、一夜との関係について、一夜の交友関係などについて話し合った。
「それでね、明日香はどうよ? この子、結構ヤキモチ焼きだと踏んでるんだけど、匠くんはどう見てる?」
「う〜ん。確かに一緒にいるときに別の女性を見たりするとムッとされますけど……。まあ、それは仕方ないかな。そんな感じでヤキモチ焼いてくれる明日香は可愛いですよ」
「ほほう。可愛い、か。言ってくれるね。ま、明日香は美人さんだけど。匠くんの前じゃ可愛い顔も見せるのね?」
「ええ、それはもう。紫さんや茜さんにも見せたいくらいですよ」
「ふふふ。それは見たいな」
「全くだわ」
 匠の言葉に紫と茜は興味津々といった顔で、明日香を見やった。
「ちょ……匠さん!? お姉様たちの前で何を言っているんですか!?」
 明日香は顔に血が登るのを感じ、慌てて匠を制した。
 本人を前に、恋人が「可愛い」だの「ヤキモチを焼いてくれて嬉しい」だの、恥ずかしいにもほどがある。
 そんなことを言ってくれるのは嬉しいことは嬉しいが。
 それに、いつの間にやら意気投合し、あっさりと名前で呼び合ってたりするのは、なぜか負けた気がする。
「いや、素直に言ってるだけなんだけどな」
 あっけらかんと言う恋人。
「……もぅ! お茶、淹れ直してきますっ」
 明日香は一旦退却することにし、台所へと引っ込んだ。

 シューシューとお湯の沸く音が聞こえる中、匠はのんびりとお茶のお代わりを待っていた。
「ねえ、匠くん」
 ふと、紫がさっきまでとは違う真摯な声音で呼びかけてきた。
「はい? なんですか?」
「ありがとう。今日話してみて、お礼が言いたかったのよ」
「お礼?」
 何のお礼だろうか? 言われるようなことはしていないはずだが。
「明日香のこと。……あの子、感情の起伏が乏しくてね。私たち家族にすらあまり喜怒哀楽を見せない子だったから。それが、あなたの前では凄く素直に見せてる。それが嬉しいの。明日香をそういうふうに変えてくれたのは匠くんよ。本当にありがとう」
「そんな。俺は、ただ、本当に明日香が好きだから。大切にしたいと、そう思って接してる――それだけです。変わったというのなら、それは明日香が自分で変わったんですよ。俺の力じゃありません」
 匠は本心を力むことなく告げた。
 実際、自分は明日香が好きなだけだ。それ以上でも以下でもないのだから。
「そっか。……でも、そういう匠くんだからこそ、明日香は変わったんでしょうね」
 紫は微笑むと、茜と頷き合った。そして――。
「本当ならちゃんとした席でしたいんだけど、今日は略式ということで、ね。匠くん」
「――はい」
 匠は佇まいを正した。何か、重大な話がある――そう感じた。
「ふつつかな妹ではありますが、明日香を今後ともよろしくお願いします」
「私たちにとっては大切で可愛い妹です。護ってあげてください」
 しっかりとした声の後、深々と頭を下げる紫と茜。
 匠はその様子をしっかりと目に焼き付けてから、口を開いた。
「こちらこそ、よろしくお願いします。全身全霊でもって、護るとお約束します」
 そして、自らも頭を下げたのだった。

 夕食もどうだと誘われたが、さすがにそれは断り、帰ることにした。
 玄関先で靴を履きながら、見送りに出てくれた紫と茜に頭を下げてお礼を言う。
「今日はありがとうございました」
「なんのなんの。またおいでよ匠くん。今度は一夜も同席させるから」
「わかりました、楽しみにしておきます」
 匠が来ることを知って逃げた一夜。次回は顔を合わせるはず。
 その時は色々と弄くってやろう。
 匠は内心ニヤリとした。
「それじゃ、お姉様。私は匠さんを送っていきますから」
「はいはい。いってらっしゃい。……あ、そうそう、匠くん」
「はい?」
 首をかしげて茜を見ると、何やら企んだ笑みを浮かべて、
「明日香に飽きたら私のところにいらっしゃい。楽しませてあげるからさ」
「ぶっ!」
「あら、いいアイデア。そのときは私も相手してあげるわね。大人の魅力を教えてあげる」
「お姉様ー!!」
 茜の爆弾発言に吹き出す匠。
 便乗する紫。
 もともと吊り目気味な瞳をこれ以上ないくらいに吊り上げる明日香。
 飛鳥井家は、最後まで賑やかだった。


BACKINDEX
創作小説の間に戻る
TOPに戻る