1話 ネコカフェ案内


 東山瑛はその日、学校の帰り道でいきなり声をかけられた。
「あ、もし。ちょっといいかな」
「はい?」
 振り駆ると、そこには一人の女性の姿。
「その制服は同じ白凛館だろう? その誼で少々訊ねたいのだが?」
「はあ……」
 同じ、ということはこの人も自分の通う白凛館の生徒なのだろう。見れば、確かに白凛館指定の女子の制服。しかし、随分と古風な話し方をする人だ。「誼」なんて普通は使わない。
 そんなことを思いつつ、改めてその人へ視線を向けて――息を飲んだ。
 三村紅葉……!
 瑛よりも高いすらっとした体躯、グラビアアイドル顔負けのスタイルにその美貌、堅っ苦しい話し方……。間違いない、間違えようもない。
 校内では知らぬ者はいない有名人。公然とファンクラブまで設立され、文武に優れ、誰に対しても分け隔てなく接してくれる優しさを持った完璧超人。さらに日本有数の財閥である三村グループの令嬢と来れば、その四文字の前にさらに『超絶』が付きそうである。
「ありがとう。早速なのだが。道を教えてほしい」
 瑛の心など知るわけもなく、完璧超人さんは手にした紙切れを瑛に差し出した。
「……? ネコカフェ?」
 差し出されたのは猫がいるカフェ――通称『ネコカフェ』のチラシ。印刷された猫の写真と道順が描かれ、下方には『癒されに来てください』と書かれた宣伝文句。
「うん。近くに出来たのでここに行きたいのだが、この辺は疎くてね。知っていたら教えてもらえないだろうか?」
「ちょっと待ってください……。今ここで、ネコカフェはここだから……。ああ、わかった。行き方は簡単ですよ」
 ここからなら十分もかからずに行ける。早足で行けば五分でいけるだろう。
「そうなのか? それは良かった。では、迷惑ついでに案内してもらえないだろうか。正直、少々不安がある」
「また迷うかもしれないからですか」
 ちゃんと説明するつもりだが、この辺に詳しくないとなると確かにまた迷子になるかもしれない。
「まあ……そうなるな。どうだろう? ちゃんとお礼もするつもりだが――」
「いいですよ、そんなの。……ええと、先輩がよければ、俺も一緒にネコカフェまで行きましょうか」
 少々戸惑いながらも頷いた。さすがに、校内随一の有名人と肩を並べて歩くことに嬉しさ半分、驚き半分といった感じなのだ。
「もちろんだ、私に反対する理由はない。では道案内をお願いする」
「わかりました」
 メモを手に瑛は歩き出し、紅葉がすぐについてきた。
 横を歩く紅葉をチラチラと見つつ、瑛はこの状況を楽しめないでいた。
「…………」
 学園一の有名人、それも飛びっきりの美人と二人だけで歩いている。……こんな状況、本来なら喜ぶべきなのに、何を話していいか、わからない。
 それも当然といえば当然である。紅葉のことは話に聞いているだけであり、こうして直接話すのは初めてなのだから。
 それ故に、ただ黙々と目的地に向かって歩くだけ。
「……後どれくらいだ?」
「え? あ、そうですねー、五分とかかりませんね。あ、こっちです」
 いきなり話しかけられてビクッとなったが、何とか平静を装い、地図の通りに左折する。
「そうか。フフ、しかし楽しみだ。猫と戯れることができるカフェ……フフ」
 楽しみで楽しみで仕方がないという様子の紅葉に、瑛は無意識に声をかけていた。
「三村先輩って、猫好きなんですか」
「うん? ああ、まあね。子猫なんて卒倒するほどの可愛さじゃないか。これを嫌う人間がいたら見てみたいものだ」
「へえ……」
 少し意外だった。どうやら三村紅葉は結構な動物好きらしい。
「子猫がじゃれついて来る様子など、勝手の頬が緩んでしまうほどの可愛さだ。まあ、子どもの頃はどんな動物でも可愛いがね」
 機嫌よく話している紅葉だったが、ふと瑛をまじまじと見つめた。
「?」
「君、私の名を呼んだが……。私を知っているのか?」
 その発言に、「は?」と目が点になる。何言ってんだ、この人は、と。
「……本気で言ってます?」
「当たり前だ。私は君を知らないのに、君は私を知っている。不思議じゃないか?」
 本気でそう思っているらしく、きょとんと首をかしげる。その仕草が凛とした様子とはかけ離れた可愛らしいものだったので、知らず知らずのうちに小さく笑みをこぼした。
「先輩は有名人ですから、名前と顔は知ってますよ」
「むう。そうか、それでか……。なんだか芸能人にでもなった気分だな」
「自身の知名度を自覚したほうがいいですね」
「気をつけるとしよう」
「そうしてください。あ、そこ右です。――はい、着きました」
 素直な紅葉を促してT字路を曲がると、すぐ先の右手に一軒の家屋があり、立看板が入り口に出ていた。
【Fairy Cat】と書かれたその建物こそが目的地である猫のいるカフェ――通称『ネコカフェ』だった。
「そうか。ここか……」
 なんだか感慨深げに呟いている紅葉。瑛はそこまで感動するもんじゃないだろ、と突っ込みたくなったが、声には出せなかった。
「先輩、それじゃあ、俺はこれで」
「うん、そうか。ここまでの道案内、感謝する。そうだ、お礼と言っては何だが、一緒にお茶でもどうかな。もちろん代金は私が出すが」
「いえ。俺はただ道案内しただけっすから。……じゃ」
 せっかくのお誘いだったが、丁重にお断りする。そんなことをされたら、緊張してしまって何も話せないに決まっている。今だってギリギリなのだ。
 ただ、紅葉がネコカフェに一人で行こうとするほどに動物好きだということが、意外なほどに親近感を沸かせているから、何とか平静でいられるのだ。
「さようなら、先輩」
「ああ。さよなら……ああ! ちょっと待ってくれ。 君の名と学年は――?」
「一年A組の東山瑛です。ではー」
 こうして、突然の邂逅は幕を閉じた。

 ――はずだった。


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