「……で、どうだったの?」
 前置きも何もなかったが、椿が何を訊いてきているのか、言われなくてもわかった。
「それがね?」
「うん、それが?」
「学校から亮祐君のおうちまでずっと尾行してたけどね、怪しいところなんて、ぜ〜んぜんなかった」
「全然?」
「うん、全然」
 目を丸くする椿に、こっくりと頷く。
「通学路を真っ直ぐ使って、途中で本屋さんに寄ったけど、寄り道ってそれくらいで。もしかしたら、途中で誰かと、その……浮気とかするのかな、と思ったけど全然そんな様子はなくて」
「その本屋で密会とかは?」
「そんなの無理だよ。ちっちゃな本屋さんだったし、亮祐君が入った後そっと覗いたけど、他のお客さんはおじさんが一人だけだったし」
「マジですか」
「うん。たまたま一緒だった高見沢君からも『あいつが浮気なんてするわけない』って改めて言われるし。もうわかんなくなっちゃったよ〜」
 心底疲れた、と千尋はため息をつくと、ぐで〜と机に突っ伏した。
 もちろん、英治と一緒になった日だけ尾行したわけではなく、数日間尾行したし、心底悪いと思ったがスマートフォンも覗き見させてもらった。
 だが、尾行は全て空振り、スマホも怪しいものなんて何一つなく、メールも千尋とのやり取り、英字とのやり取り、様々な店舗――主にアニメ、漫画関係――のメルマガくらいなもので、女性からと思われるメールは全くのゼロだった。
「ん〜? だとすると、何なんだろうねえ? 浮気相手の名前を男の名前に変えて登録してるとか」
「そこまでする? 亮祐君のアドレスの数、そんなに多くないよ? それに、メールもおかしいのなかったし。それなのにそんなことしたら、逆に怪しくない?」
「それもそうか。じゃ、何なんだろ」
 二人して首を傾げるが、答えが出るわけもない。
 と。
「つまりは、長塚君は無実ということではないの?」
「へ?」
「え?」
 話に入ってきたのは純子。いささか呆れた表情をしつつ、手近な椅子に腰掛けた。
「純ちゃん、亮祐君が無実って、浮気してないって意味だよね。どうしてそう思うの?」
「それはそうでしょう。千尋ちゃんがそこまで頑張って調べたのに、全く怪しいところなし。アドレスもメールも潔白。尾行しても女性と会っている様子はない。なら、事実はひとつでしょう。違う?」
 千尋の問いに、純子は微苦笑し、小さく肩をすくめた。
「……! そっか、そうだよね! これだけ調べても何もないんだもん、亮祐君はやっぱり潔白だ」
 亮祐が無実という結論に達したのか、ぱぁっと一気に千尋の表情が明るくなる。嬉しそうに何度もうんうんと頷く。
「えへへ。ありがと、純ちゃん。もうこれで安心だよ。亮祐君はやっぱり私だけを見ててくれてるってことがわかったし」
 にこっと笑う千尋に純子も笑うが、一人椿は再度首を傾げた。
「じゃあ、長塚のあの不審な態度は何なのよ」
「う――」
 途端、千尋の顔が暗くなる。
「浮気じゃないとしてもだよ? 絶対あいつ何か隠してるでしょ」
「あううう」
 椿の追撃に、千尋は頭を抱えたが――。
「心配することはないと思うけどね……」
 純子の呟きが静かに漏れた。

〜合縁奇縁のミルフィーユ〜
 10話 前向きな決意

「心配ないって、どういうこと?」
 呟きを耳聡く聞きつけた千尋が、身体ごと純子に向き直る。
「そのままの意味よ。長塚君が浮気するような人じゃないのは千尋ちゃんが一番よく知ってるでしょう」
「そうだけど……。でもでも、亮祐君が何か隠してることは絶対なんだよ?」
「それが?」
「え?」
 純子があっさり言ったので、千尋が逆に目を丸くした。
「だから、それがどうしたの?」
「いや、だから隠し事……」
 思わず尻つぼみに声が小さくなるが、純子は小さく肩をすくめた。
「誰だって隠し事の一つや二つはあるでしょう。千尋ちゃんだって彼に隠してることあるでしょ?」
「え、な、ないよ! 私、亮祐君に隠してることなんて……」
「へえ? 本当に?」
「うん、もちろんだよ? 隠すようなことないし」
 千尋は素直な気持で言ってみたが、純子は眼鏡を軽く直すと、小首をかしげた。
「なら、千尋ちゃんが中学生の時、大好きだったアイドルの追っかけで、出そうとして結局出せなかった、ラブレターともファンレターともいえない手紙の束をクローゼットの奥に仕舞い込んでることは?」
「え!?」
「長塚君との写メを後生大事にプリントアウトの上、パソコンに保存。それを毎日ニヤニヤしながら眺めて、未来の妄想をしていることはどうなの?」
「うええええ!?」
「さらには……」
「ストップ! 純ちゃん、すとおおおおおおおっぷ!」
 さらに続けようとする純子に、大慌てで待ったをかける。椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、純子の華奢な肩をがっしりと掴み、くっつかんばかりにその顔を覗き込んだ。
「それは、私の黒歴史―!!」
「長塚君とのことは現在進行中よね」
「だからあああ!」
 悲鳴とも取れる声を上げ、親友の肩を揺さぶる。
「それは言わないでえええ! 亮祐君に知られたら、呆れられちゃう!」
 中学時代の、アイドル追っかけのことを知られたら、嫌われてしまうことすら考えられる。それは何が何でも避けねばならない。
「呆れられるくらいならいいんじゃない? まあ、大笑いされるだけだろうけどね」
「それがいやなのおおおお!」
 大好きな人に、自分の黒歴史を大笑いされる――これほど辛いことはそうないだろう。
「亮祐君に少しでも変に思われたくないの! アイドルの追っかけしてたなんて、絶対に言えないから!」
「別に悪いことしてるわけじゃなし。そんなに怯えなくてもいいと思うけどね」
「でも嫌なの」
「はいはい」
 必死に訴える千尋の熱意が通じたのか、それとも狼狽える千尋が哀れになったのか、純子は苦笑してその話題を切り上げた。
「で、結局どうするの? 千尋ちゃんは彼が何かを隠してると踏んでる。浮気はしてないらしいけど。私は放置を推奨。大したことじゃないと思うので。――ここから取れる選択肢なんて一つしかないと思うけど?」
「う……」
 純子の言葉に、ぐっと千尋が詰まる。――本人も重々承知しているのだ。ここから先へ進むには一つしか道はないということを。
 それは、亮祐としっかりと話し合う、ということ。
 亮祐に対し疑心暗鬼になっている以上、疑念を払拭するためには全てを問いただし、全てを聞かなければならない。
「それはわかってるんだけど。やっぱり、怖くて……」
「それもわかるけど。逃げてたら解決はしないわ。千尋ちゃんはずっと長塚君に対して疑惑を持ち続ける。長塚君もそのうちそのことに気が付いて千尋ちゃんに対して不信感を抱くでしょう? そうなったら――大変よ?」
「あうっ」
 痛いところを突かれ、呻き声が上がる。確かにこのままでは純子の言う通りになる可能性が高いだろう。そうなってしまえば、破局すら想定できる関係にまで陥りかねない。
 それは何が何でも阻止しなくてはならない。
 亮祐と別れる未来などいらないのだから。
「それで――どうするの?」
 純子に促され――千尋はうん、と頷いた。
「わかったよ。私……亮祐君とちゃんと話す! 何を隠しているのか、私が思っていること……しっかりぶつけてくるよ」
「うん、それがいいわ。――大丈夫。絶対上手くいく」
「ありがとう、純ちゃん」
 千尋は純子の励ましににっこり笑い、ぐっと拳を握った。
(うん、大丈夫大丈夫……。ちゃんとしっかり話し合えば大丈夫。何も怖いことなんてないんだから)
 自分に言い聞かせながら携帯電話を取り出す。
「…………」
 大きく深呼吸してから、ゆっくりと亮祐の番号を呼び出した――。


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