第1話 一撃必殺!

 俺が校門を潜って帰路に着こうとしたら、やけにざわついている様子が目に入った。
 ……何事だ?
 訝しく思いながら群がる生徒たちを掻き分けて進むと、一人の少女が視線の先にいた。
 どこか別の学校の制服を着、ふんと胸を張り、腕組みをして帰りゆく生徒を品定めでもしているかのように、キョロキョロと視線を泳がせている。
 実際には誰かを捜しているんだろうが。
 どうやら、彼女がこの渋滞の原因らしい。
(それはわからないでもないけど)
 なぜなら、それは――少女が美人だったからだ。
 歳は俺たちと同じくらいだろうか。髪はポニーテルに纏められ(絶滅してなかったらしい)、切れ長の瞳、通った鼻筋、キュッと引き締められた唇……早い話が「眉目秀麗」というやつだ。
 ……訂正。「容姿端麗」だ。
 男なら誰でも、いや、女性だって少女に目をやらずにはいられないだろう。
 それくらいの美少女だった。
 それにしても――この子は一体誰を捜しているんだろう?
 そう思った時、一人の生徒がトコトコと近づき勇敢にも少女に話しかけていた。
 少女の雰囲気からして邪険に扱うかと思いきや、普通に接し、逆に何かを訊ねているらしい。
 と。
 何故か話しかけたその少年が、こっち――というか、俺を見て指差しているような気が。
(……まさか、ね)
 いくらなんでもそれはないだろう。
 少女は少年に礼をして、再びこちらを向き、礼を言われた生徒はにこやかに笑いながら立ち去っていく。
 ――何だったんだ?
 ちょっと興味が沸き起こったけど、俺には関係ないな。
 突然の眼福に感謝しつつ、少女の前を横切って帰ろうと――できなかった。
 なぜなら。
 驚愕に目を見開いた少女が、次の瞬間には表情を険しいものに変えて、俺の目の前に立ち塞がったからだ。
「葛西和仁、だな?」
「へ?」
「あなたが葛西和仁だなと訊いているんだ」
「え、え、あ。そ、そうだけど」
 いきなり名前を呼ばれて間抜けな声を上げてしまったけど、大慌てで頷いた。
「何で君が俺の名前を」
 知っているんだ、という言葉は少女によって遮られた。
「それは当然だろう。私はあなたのことを母から聞いた。あなたも私のことは聞いているはずだ」
 言いながら、なぜか体を半身にして腰を落とす少女。
 この行動も意味不明なんだけど、まず言わせてもらおう。
 俺は君のことなど知りません! これっぽちも! まったく!
 だが、少女は俺の心の叫びなど完璧に無視して(聞こえてないから当たり前だった)、フーと息を吐いた。
 その姿、まるで獲物を狙う獣。
「ええっと、さ、ちょっと話しを」
 危険信号がガンガン鳴っているのを感じ、平和的話し合いをしようと話しかけた、その刹那。
 少女の姿が消えた。
(――え?)
 そして。
 一回の瞬きの間に。
 息すら触れそうな距離にまで近づかれ。
「は?」
 その美貌に見惚れる間もありはこそ。
 少女の右掌底が、俺の鳩尾にめり込んでいた。
「ぐふっ!?」
 直後に襲い来る重い重い衝撃。
 痛いとかをあっさり飛び越える。
 俺はそのまま何一つできず、地面に倒れ伏す。
「ぐ、ぐ……ぐ」
 必死になって顔だけを少女に向けて、唇から言葉を絞り出す。
「い、一体、何の――」
 そこまでだった。
 それ以上何も言えず、俺の意識は途切れた。
 最後に目に付いたのは、俺を冷ややかに見下ろす、少女の綺麗な瞳だった。

 ――気がついたら、保健室のベッドの上だった。
「保健室か……いてて」
 身を起こすと、腹部に鈍痛が走った。間違いなく、あの少女にやられたせいだろう。
 全く。
 一体なんなんだ、あの子は。
 向こうは俺を知っているみたいだが、こっちは本当に知らないってのに。
 とにかく疑問は尽きないけど、取り敢えずは無事のようだ。
 ベッドから降りようと掛け布団を除けたら、その音が聞こえたんだろう、カーテンがサッと開き、保険医の三上先生が顔を覗かせた。
「よお。お目覚めか。具合はどうだ?」
 ……言っておくが三上先生は女性だ。見た目は玲瓏な美人だけども、口を開けばぞんざいな性格がまるわかりの人だったりする。
 全くもって勿体ない。ファンも多いのに。
「……何か言いたいことがあるのか、葛西?」
「いいえ? なあんにも?」
 眼鏡の奥の怜悧な目に睨まれ、急いで首を振る。
 下手なことをしようものなら、空手三段の餌食だ。
 以前にもその美貌に魅せられて、我が校の数少ない不良連中が襲おうとしたことがあるが逆に返り討ちに遭い、ロープでぐるぐる巻きにされて屋上から逆さ吊りにされたことがある――らしい。
「らしい」というのは、そいつらがその件に付いては一切口を閉ざしているからだ。
 その逆さ吊りにされているところは登校してきた全生徒が見ているから、事実――「だろう」というのが、公然の秘密ってやつになっている。
 だから、三上先生には誰も逆らわない。
「ふん。で? 具合はどうなんだ?」
「ああ、ま、なんとか平気です。こうして起きててもなんとも――イテテ!」
 軽く身体を捻った途端、鳩尾辺りに鈍痛が走った。
「ま、当然だな。くっきり痕が残るくらいにいい掌底を喰らってんだから。骨が折れなかっただけでも幸運だったと思いな」
 いや、骨って。
 恐る恐るワイシャツを肌蹴てみると、鳩尾に半円を潰したような赤紫色の痣がくっきりと付いていた。
「おおおおお……」
 これじゃ痛いはずだよ。
「とにかく起きられるのなら、こっち来な。お前さんに話があるそうだ」
 くいっと顎で後ろを示す先生。
「話? 誰が?」
「会えばわかる。あまり待たせるもんじゃない。お前が起きるまでずっと待っていたんだからな」
「はい」
 しかし誰だ? 俺に話?
 ベッドから降り上履きを履いて、カーテンの外に出ると、そこにはあの――俺をK.Oした少女が、居心地悪そうに座っていた。
「君はさっきの!」
「あ、あの、その……。すみませんでしたっ!」
「……は?」
 少女にいきなり謝罪されて、俺はポカン、と口を開けた。
 混乱する俺に構わず、少女は立ち上がるともう一度頭を下げてきた。
「本当にすみませんでした。今日はもう遅いので、後日改めて謝罪に伺います。それでは――失礼しますっ」
「え? あの、ちょっと!?」
 逃げるように背を向ける少女に慌てて声をかけるが、全く足を止めることもなく、保健室を出ていってしまった。
 ……何? 一体? つーか、俺を気絶させた理由は!?
 呆気に取られる俺を余所に、三上先生はタバコ――禁煙だってのに――をくゆらせつつ、冷静に呟いた。
「さすがに悪いと思ったんだろ。しかし、後日改めて謝罪とはね。さすがに古き名門校の生徒だな。礼節を弁えてる」
「古き名門校?」
「ああ。男の葛西には難しいだろうが、あの子が着ていたのは碧野女子高等学校の制服だ。元は明治に創設された、華族のための学校さ」
「へえ」
 そんないいところの子が、なんだって俺をノックアウト?
「さあな。それはあの子に聞きな。……と。それで葛西。その怪我だがな」
 先生は話題を俺の怪我へと変えると、湿布を渡してきた。
「取り敢えずこれ貼っとけ。あと、治るまで激しい運動は控えろ。体育も休め。そうすりゃ、一週間程度で治る」
「了解っす」
 確かにこれじゃ、体育どころじゃないしね。
「ああ。それじゃ帰れ。もう遅い」
 腕時計を見ると既に午後6時を回ってる。
「はい、それじゃありがとございました、先生。失礼します」
「ああ」
 一礼して、鞄を持って保健室を後にする。
 ――それにしても。
「とんでもない一日だった」
 下校するだけのはずが、こうなるとは。
 歩くだけで鈍く痛む腹を軽く押さえながら、俺は昇降口へと向かった。


INDEXNEXT
創作小説の間に戻る
TOPに戻る