〜少女たちの膨れっ面〜
心地よい風が紙を揺らし、頬を撫でていく。
「気持ちいいですね――」
アルク川のほとりで読書をしていたクラレットは、光る川面を見つめ、微笑んだ。
ある日の昼下がり。
クラレットはここでの読書が気に入っていた。最近は暇であればここに来ては本に触れている。
無論いつもではなく、頻度的には一週間に、一、二回だ。
「今日はハヤトもいないですし」
いつも一緒のハヤトとは別行動をとっている。
たいした理由ではないけれど。
「仕事ができて嬉しそうでしたね、ハヤトは」
珍しく回ってきた仕事に、ハヤトは嬉々として向かっていった。
「正直、私も連れて行ってほしかったのですが」
しかし、石切りの手伝いだという仕事内容を聞く限り、クラレットがいても役には立つまい。
「……仕方ありませんね」
はあ、とため息をつく。
クラレット――恋する乙女としては少しでもハヤトと一緒にいたいのだが、我儘もそうは言えない。
自分の我だけを押し通すことは、決してやってはいけないことだろう。
「ふう」
もう一度ため息をついいたとき、誰かが近づいてくる足音が聞こえた。
「あら、クラレットじゃない」
「? セシルさん?」
声のした方を見れば、元アキュートであり、現在は仲間である美女、セシルが歩いてくるところだった。
手には大きめの籐の籠をぶら下げている。
「珍しいですね、セシルさんがこんなところに来るなんて。どうかなさったんですか?」
「ええ、ちょっとね。薬に使う薬草を採取しに来たのよ」
「あ、なるほど」
納得がいき、クラレットは頷く。
しかし、更に疑問が沸く。
「でも、それなら買えば良いのでは? 出入りの業者もいるでしょうし、なんでしたらシオンさんの店もありますし……」
セシルの婚約者は、サイジェント騎士団が誇る軍事顧問のラムダだ。経済的に困るということはないだろうから、わざわざセシル自身が取りに来る必要はない気がする。
「ええ、そうなんだけどね」
セシルはクラレットの隣に座るとクスッと笑った。
「?」
「以前ね、シオンさんに言われたのよ」
セシルは籠の中から、草を二本取り出した。
「医者であり、薬師であるというなら、使う薬草類はできる限り自分で採取しなさいってね。そうしないと、腕も上がらないし、いざというときは役に立たないから、と」
「役に立たない……?」
それはどういう意味なのだろうか。
クラレットの疑問は予想済みだったらしく、セシルはフフ、と笑った。
「つまりね、業者とかシオンさんのようなお店から買う薬草は――用途に合わせて、すでに乾燥させてあったり、粉末にしてあったり――もう後一手間加えれば薬として成立するものばかりでしょ? 確かにそれは便利だし、面倒な下拵えとか要らないから楽なんだけど。でもそれじゃ、街の外で活動する場合、困るわよね?」
「ええと……。すみません、まだ良く分らないです」
クラレットは困ったように視線を伏せた。
「そんなに落胆しなくても。もっと詳しく説明するわ」
「はい」
「そうね、具体例を加えつつ説明するとね。例えば、あなたたちフラットがサイジェントの外で敵に遭遇したとするわ。戦いは勝った、けれど負傷者が出てしまった。召喚術は魔力が切れてもう使えない。そんな時、あなたならどうする、クラレット?」
「え――?」
言われて、クラレットは考えて――ひとつの答えを口にした。
「そうですね、そんな場合はやはり、薬の力に頼るのでは、と。医者に連れていく時間もないでしょうから」
「ええそうね。でも薬もないとしたら? あるのは目の前に広がる草原だけ」
どんどん条件が厳しくなってくる。そうなると、もはやクラレットにはお手上げだ。
「……ダメです。私にはもう分りません」
召喚師たる自分の魔力が切れてしまった場合、戦闘において役立つとは思えない。戦略にて多少の役には立つだろうが……。
薬学の知識はほとんどない。ゆえに、そんな場合は想定などしていない。
「そのような事態に陥った場合、役立つのは自分の知識よ。特に、医者である自分にとっては」
「あ……」
そこまで聞いて、ようやくクラレットはセシルの言葉が理解出来た。
「……わかったみたいね」
「ええ。手持ちの薬も、召喚術を使う魔力もない――。そんな時、使えるのは自分の知識、つまりは現地調達、ですね?」
セシルは穏やかに笑った。
「そういうこと。いつも加工された薬を使っていたのでは、応用が利かないわ。野生に生えている薬草と、採取されて仕分けされている薬草では、見た目が随分違う場合も多いから。いざというときでも冷静に、状況に応じた薬を調達できなくては、ね。頭でっかちは良くないし」
セシルは手にしていた薬草を籠に戻した。
「生えている薬草を見極め、状況に相応しい薬を作る――それができれば、怖くないわ。どんな状況でも」
「そのための訓練ですか、今日ここにいるのも?」
「ええ。……ま、それだけじゃないけれどね……」
「それだけじゃ、ない……?」
急に沈んだ口調になったセシルに、クラレットは眉を顰めた。
<「ええ」
「どういうこと、ですか?」
クラレットは興味を引かれ、訊いてみた。
――それが、あることを引き起こすとも知らずに。
「つまりね、そういうことなのよ! 信じられる!? 婚約者ほっといて何やってんのよ、あの馬鹿は!」
「は、はあ……」
いつの間にか薬草における薬師の話は、セシルの『ラムダに対する愚痴』発表会になっていた。
「本当に酷いのよ、ラムダって! 何で私たちの記念日をことごとく忘れるわけ!? どう思う、クラレット?」
「ええと……。確かに酷いかもしれないですね」
セシルの機嫌を損ねるのは怖いので、話を合わせておく。
(セシルさんも苦労してますね……)
自分もハヤトという鈍感キングを好きなわけだから、なんだか人ごとではない気がする。
でも、素面でこれだけくだを巻けるということは、酒が入ったらどうなってしまうのか。
「ちょっと! 聞いてる、クラレット!?」
「は、はい! 聞いてます!」
セシルの愚痴はまだまだ続きそうだった。
一時間後。
「そんなことを!? ラムダさんって女心がわかってません!」
「でしょ! わかってくれるのね、クラレット!」
「もちろんです、セシルさん!」
「ありがとう、クラレット! もうあいつは! 何で私と出かける約束を反故にして、騎士団の演習を優先するのよ! しかも、約束したときよりも楽しそうな顔で行っちゃって。ラムダの馬鹿!」
セシルの『一人愚痴大会』が、そこにクラレットも参戦した。ラムダの朴念仁っぷりに、自分とハヤトのことを重ね合わせてクラレットがセシルに深ーく同調するのは自明の理である。
二時間後。
「ええ? ハヤトって、全く気づいてないの!? 何やってるのよ、あの子は。せっかくクラレットみたいないい子が好きになってくれているのに……」
「ええそうなんです! 本当にハヤトって鈍感ですから、アプローチをしてもキョトンとした顔をするだけで。やきもきしちゃうんです」
「そうよねー。ハヤトって女の扱いには慣れてないっていうか、知らないみたいだし」
「ええ。一度聞いたことがあるんですけど、女性とお付き合いをしたことはないって言ってました。私は安心しましたけど」
「うふふ。クラレットはそうなるわね。でも、そうなると益々厄介ね。自分に向けられた好意に関して、免疫がないから気づきにくいのよ。はあ、本当に鈍感ね」
セシルはため息をついて、心底クラレットに同情した。
(大変ねー、クラレットも。まあライバルはいないみたいだけど……)
クラレットが最大の敵と認識していたリプレも、どうやらハヤトのことは『家族としての大切な人』というポジションらしいから、問題はないだろう。
――その後も二人はそれぞれの想い人の鈍さとか、駄目っぷりを報告しあったりした。
そして。
深く深ーく共感した二人は。
『鈍感男を好きになると女は苦労するわよね』同盟を結成することと相成った。
「クシュン!」
「どうした、ハヤト?」
「ああいや。急にくしゃみが……」
「気をつけろよ、風邪には」
「ああ」
フラットでくしゃみが一つ。
「ハックシュン!」
「? どうしたんだ、ラムダもイリアスも。……風邪かい?」
「いや……。急に」
「はい。体調は問題ないですよ」
「なら、誰かが二人の噂をしているんじゃないか?」
「ふむ。かもしれん」
「ですね」
サイジェントからしばらく離れた荒野。
ここにくしゃみが二つ。
余談だが。
『鈍感男を好きになると女は苦労するわよね』同盟に、後日サイサリスが加わることになるのは、また別の話。
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