〜君と手を繋いで〜

 少女は商品とお釣りを受け取ると、メモを確認した。
「え……っと。リプレに言われたのはこれで全部ですね……」
 クラレットはフラットの家事を一手に引き受けるリプレに頼まれて、買い物に来たのである。
「買い物も終わったことですし、帰りましょう」
 よいしょ、と一抱えもある買い物袋を持ち直し、クラレットは店を出た。
「……ふう。でもちょっとこれは重いです」
 華奢なクラレットにしてみれば、この重さは辛い。
「でもこれ……リプレは一人でこなしているんですよね……」
 自分と変わらない体格の少女のどこに、あんな力強さが眠っているのか。
 ヨタヨタと傍から見ると危なっかしいことこの上ない動きのクラレット。それでも本人、大真面目。
「リプレに負けてはいられません……」
 ちょっとした意地。
 まあ、原因はとある少年にあるのだが。
 何とか大荷物を抱えて歩いていると、声がかけられた。
「クラレット?」
「はい?」
 そっちを見やれば、そこにいるのは意地を張る原因の少年。
 無論――ハヤトである。
「何やってるの?」
 なんとも間抜けな質問であると言わざるを得ない。
 クラレットが何をしているかなど、一目瞭然であるのに。
 だが、そういう質問をするのがハヤトという少年なのである。
「リプレに頼まれて……。買い物ですよ」
 やっぱりクラレットは大真面目。
 ……そういう少女である。
 似たもの夫婦。
 いや、夫婦などではないのだけど。
「ふーん。じゃ、手伝うよ。重いだろ、俺が持つよ」
「え!? あ、は、ハヤト!? あ、いえ! 大丈夫です、それくらい!」
 クラレットは慌てて首を振ったが、ハヤトは「ダメ」と笑った。
「だってクラレットは女の子だろ」
「え……お、女の子……?」
 サッと頬に朱が差す。
「そうそう。そんなに重たそうなんだから、女の子に持たせるわけいかないだろ」
 そう言って、ハヤトはまた笑う。
 優しい、その笑顔。
 クラレットはそれを見て、ますます赤くなる。
 嬉しい。密かに想っている相手にそんなふうに優しく、女の子として扱ってもらえるのはとても嬉しいこと。
 でも、この鈍感帝王は気づきもしないだろうけど。
「? どうした、クラレット。なんか顔が赤いみたいだけど……」
「!? あ! いいえ! な、何でもありません! 気のせいです!」
 クラレットは照れ隠しにぶんぶん首を振る。
 それはもう、目一杯に。
「そ、そうか? ならいいけど。じゃ、荷物貸して」
 その様子にさすがにハヤトもちょっとびびる。
「本当にいいんですか?」
「いいって言ってるだろ。はい、貸す」
 ハヤトはそう言って、さっさと荷物を持ってしまった。
「さ、行こう」
「……はい」
 クラレットもそれ以上の抵抗はせず、素直に従った。
「マスター? 大丈夫ですのー?」
 もう一つの声。
 レビット族のモナティである。
「はは、モナティ、ありがと。でも、俺だってそんなにやわじゃないよ」
「わーい♪ マスター、力持ちですのー」
 喜ぶモナティ。
「ところでハヤト? あなたもどうしてこんな所にいたんですか?」
 それが疑問だった。
 昼前から姿が見えなかったので、また釣りにでも行っているのかと思っていたのだが……?
 ハヤトとの間にモナティを挟みながら、クラレットは首をかしげた。
「ん? ああ、ペルゴがね、料理に使う香草? が足りなくなっちゃったから、緊急で取ってきてほしいって頼まれたんだよ」
 料理が得意なグルメの元騎士。
「だもんで、モナティ連れて探してきたんだよ。で、今それを渡してきた帰り」
「いーっぱい探したんですのー。ペルゴさん、とっても喜んでましたのー」
「そうだったんですか」
 なるほど。それでモナティの機嫌がいいのか。
 いや、このレビットの少女は機嫌が悪くなるということがないけれど。
「うん。しっかし、これ重いな。これじゃあ、クラレットには辛いだろうに」
 ハヤトも重そうに荷物を持っている。
 ハヤトですらこうなのだから、自分だったら間違いなく、途中でへばってしまっていることだろう。
(まさかそれが狙い……じゃないですよね、いくらなんでも)
 ハヤトを巡るライバルとは思っていても、あの心優しい少女はそんなことはしないだろう。
「ははは。まあ、リプレのことだし、ガゼルに行かせてるつもりで買い物リスト作っちゃったんだろうなあ」
 ハヤトの言葉に、ああ、と納得して、クスリと笑みをこぼす。
「そうかもしれませんね」
 そんな他愛もないことを話しつつ、帰るべき家に向かっていると、向こうから歩いてくる、若いカップルが見えた。
 仲睦まじげに話しているカップル。そのまますれ違うが、クラレットはふう、とため息をついた。
(いいなあ)
 羨ましい。
 自分だってハヤトとあんなふうになれたら……。
 しかし、あのようになるまでの道のりは遠い。
 キスはおろか、手ですら繋ぐのに一苦労するくらいなのだ。

 自分の隣を歩く、この鈍感帝王相手では。
(私だって、憧れはあるんですよ? ハヤト)
 いつもいちゃつきたいとは思わない――いや、少しくらいならしたいけれど、せめて、手を繋ぐのが自然であるくらいまではハヤトとの仲を発展させたい。
(もうすぐ19歳になるんですし……)
 これでは、まるで十代前半、下手したら10歳くらいの子供の恋愛ではないか。
 自分はもう、大人なのに。
(全く、ハヤトはどうしてこんなに鈍感なんでしょう……)
 と、そこまで考えて、とんでもない可能性に気づいた。
(ま、まさかハヤト……。私の気持ちに気づいてないってことは……ないですよね!?)
 心の中で否定する。
 が。
 ハヤトだったら、ありえる。
 ありえるのである。
 サイジェント、いや、聖王国随一の鈍感王の称号すら手に入れることができるであろう、ハヤトだったら。
(可能性、ありすぎです……)
 クラレットは思わず、じいっとハヤトを見つめてしまう。
 しかし、そんな恋する乙女の苦悩すら、気づかない。
(もう。……こうなったら)
 実力行使、あるのみ。
(ま、まずは手、手を繋ぐことから……)
 そこでふと気づく。
 自分と、ハヤトの間には。
 モナティが、ニコニコしながら歩いていることに。
(あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜……!)
 この状況では、いくらなんでも難しい。
 かといって、モナティを押しのけるわけにも行かない。反対側に移動したところで、荷物を抱えているから意味がない。
(ああ、どうしましょう)
 ……さすがにその辺りに、自制心は残っていた。

 ――そんな葛藤を続けるクラレットに、モナティは首をかしげていた。
(クラレットさん、どうしたんでしょう? なんだかさっきからおかしいですけど)
 そろそろと手を伸ばしては引っ込め、マスターであるハヤトを見つめる。軽くため息を吐いて、再び手を伸ばしている。
 それを、何度も繰り返しているのであるから。
(ん〜〜〜〜????)
 ニコニコのモナティはあることに気づいて、更ににっこりした。
(そうですの!)
 そして、モナティは。
 実行に移した。
 ――まず、マスターハヤトの空いている手を握る。
「ん? どうしたモナティ?」
「えへへ〜ですの〜」
「しょうがないな」
 ハヤトも笑いつつ握り返してくれる。
 大好きなマスターと手を繋ぐことができて、モナティは幸せだった。

(あ、ああああああああああ!)
 その様子を、クラレットは驚愕の思いで見つめていた――否、見つめることしかできなかった。
(モ、モナティ、あ、あなた一体何を――!?)
 あっさりと、それはもう実にあっさりと、自分が乗り越えるのに必死になっていた壁をひとっ飛びで超えられてしまったのだ。
(あうあうあうわあわわ! モナティ〜! 私の、私のハヤトと、あんなにもあっさりと、手を繋げるだなんて……)
 もはやクラレット、脳内がおかしなことになり始めている。
 これもひとえにハヤトへの愛ゆえか。
 しかし、そこで、クラレットの予想を越える出来事が起きた。
 モナティが空いている左手を使って、今度はクラレットの右手をぎゅっと握ったのである。
「……え? モ、モナティ?」
「えへへ〜。これでいいですの♪」
「あははは。モナティはクラレットとも手を繋ぎたかったんだな」
 ハヤトが朗らかに笑う。
「そ、そうなの、モナティ」
「ん〜? いえ、モナティではなくて、クラレットさんがマスターと――」
「俺と?」
 モナティの言葉にキョトンとするハヤト。
 逆にクラレットはギョッとなり、乙女の勘でモナティが何を言わんとしているのかを察知した。
「ち――! 違います違います! あ、いえ、ちがくないんですけど――。ああそうではなくて! モ、モナティったら何を言ってるんでしょう――うふふふふ」
 もうクラレット、大慌て。
 手をバタバタさせて、必死にモナティの言葉を消そうとする。
「あ、うん? よくわかんないけど、どうしたんだ、一体?」
 さっぱりわかっていないハヤト。
「何でも、なんでもないです! さ、ハヤト、早く帰りましょう」
 強引に話を逸らし、クラレットは足を速める。
「あ、ちょ、ちょっと待って、クラレット! そんなに急がなくても――」
 ハヤトは全くわかってない表情でクラレットに合わせるが、すぐにモナティに思い至り、「クラレット、待った」と、声をかける。
「……え?」
 さっきとは違うハヤトの声色に驚き、クラレットも思わず足を止めた。
「急ぐのは構わないけどさ、モナティに合わせてやってくれると助かるよ。俺たちとは歩く速さは違うから」
「あ……」
 言われてやっと、クラレットは気が付いた。
 そうだった。人である自分たちと、レビットであるモナティではまるで違うのだ。いつもなら忘れることなんてないのに、こんなときに失念するなんて――。
 ハヤトと一緒の時に。
「ごめんなさい、モナティ……」
 クラレットは静かに頭を下げた。
「ふみゅ? モナティは大丈夫ですよ? それよりも」
 笑顔のまま、モナティは両手を小さく揺らした。
「どうした、モナティ」
「???」
 ハヤトはクラレットと顔を見合わせ、首をかしげた。
「こうしてると、なんだかモナティたち家族みたいですの〜♪」
 モナティご機嫌、ご満悦。
「あはは。そうだな。こうして手を繋いで歩いているから、俺たち家族みたいだな」
 ハヤトも笑顔でモナティに同意する。
「くす。そうですね」
 クラレットも自然と笑顔になった。
 しかしそれは、ハヤトの台詞で崩壊することになる。
「でもそうすると、俺がお父さんで、クラレットがお母さん。モナティは俺たちの子供ってところだな」
「……え!?」
 一瞬でクラレットの顔が赤く染まる。しかし、そんな様子に二人は気づかない。
「そうですの♪ モナティ、マスターとクラレットさんの子供ですの〜」
「あははは。だってさ、クラレット」
「…………」
「……クラレット?」
「クラレットさん?」
「……私とハヤトが……」
「クラレット? どうしたんだ?」
「クラレットさん〜?」
「私とハヤトの子供……」
 一人妄想の世界へと入ってしまったクラレット。
 ちなみに、その心象世界はこうなっていた。
(わ、私とハヤトがお母さんとお父さんだということは、私とハヤトが夫婦ということですよね。……夫婦!? そ、そんな、それはまだ早いですう! そりゃ私はハヤトのことが好きですし、将来そうなったらいいなーとは思いますけどっ! 私たちはまだこ、恋人という段階にすら達していないんですから! キスだってまだですし、手だってまだ繋いだことは数えるくらいで! しかもその数回だって甘い雰囲気なんて皆無だったし! 全くハヤトったらいい加減に私の気持ちに気づいてくれてもいいじゃないですかっ! なんでそんなに鈍感なんですか? ええ、そうです、鈍感すぎるのも犯罪ですよ、本当に! 現に今だって私が手を繋ぎたくて仕方がないというのに、全然気づいてくれないんですから。だからモナティに先を越されてしまうんです! もう本当にハヤトの鈍感! 私は本当に、本当に――)
「ハヤトと手を繋ぎたいんですからーーーー!」
 ピタリと沈黙が舞い降りる。
「あれ……?」
 ようやく現実に戻ってきたクラレット。
 周囲の変化に恐る恐る見回す。
「ク、クラレット……? いきなりどうしたの……?」
「え……?……あ!!!」
 慌てて口を押さえるが、一度出た言葉が戻るわけもなく。
「あ、あの……ハヤト? 私……口に出してまし……た?」
 こっくり頷く想い人。
 ――ボンッ!
 クラレットは羞恥で見る見る内に真っ赤になった。
「あ、ああああああー! ご、ごめんなさい、ハヤト! 忘れてくださいー!」
 叫んで。
 クラレットは走り出そうとした。
 が、それを止めたのはハヤトだった。
「待って、クラレット」
「ハヤト、放っておいてくださいー!」
「そんなことできるわけないだろ?」
「でも」
「はい」
 ヒョイ、と差し出されたのはハヤトの右手。
「……え?」
 クラレットは目をぱちくりとさせた。
「手。……繋ぎたいんだろ?」
「え!? あ、そ、それはしたいですけど、でも、あれっ!?」
「じゃあ、いいよな?」
 少し照れくさそうにしながらも、差し出されたままの右手。
 愛しい人の右手。
「でも……モナティは……」
 そっちの手は今までモナティと繋いでいたのではなかったか。
「モナティは」
「モナティは、クラレットさんと繋ぎますの」
「え? 私は構わないけど、いいの? モナティ」
 瞳をレビットの少女に向ける。くりくりとした柔らかな瞳は優しさで満ちていた。
「はい! マスターでもクラレットさんでも、手を繋げればそれで嬉しいですから」
「そう。ありがとう、モナティ」
「えへへ〜」
「じゃ、じゃあハヤト。手を繋いでも……構いませんか?」
「もちろん」
「……はい」
 クラレットは込み上げる嬉しさを抑えつつ、ゆっくりとハヤトの手を握った。
 剣術の鍛錬や、数多くの戦いで鍛えられたその手のひらは少し硬かったが、とても安心出来た。
 だってそれは。
 自分や大切なものたちを護るために刻まれたものだから。
「ハヤト」
「ん?」
 三人で、自分たちの家への道を歩きながら、クラレットは微笑んだ。
「私は」
「うん」
「とても幸せです」
 そう言って。
 クラレットは、少しだけハヤトの右手を強く握った。
「ああ」
 クラレットの好きな、鈍感なその人は。
 にっこりと笑って、握り返してくれた。
 そのままフラットまで帰ってしまったハヤトとクラレットは、ガゼルやフィズを始めとした面々に、その日一日中からかわれ続けることになったのは、また別の話。

 それから。
 クラレットが重い買い物をする羽目になったのは、リプレが料理中にたまたま台所に寄ったクラレットを、入れ違いで出ていったガゼルと勘違いしてしまったからだったり。
 そのガゼルは買い物を押し付けられそうなのをすばやく察知し、逃げたからだったりしたのが真相だった。

「ガ〜ゼ〜ル〜!?」
「わ、悪かったリプレ! 謝るから飯抜きは勘弁してくれ!」


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