亮祐が登校すると、そこかしこから噂話が聞こえてきた。
「まだまだ続くわな、そりゃ」
 あの事件からまだ数日しか経ってはいない。まだまだ熱気を孕み、野次馬達が走り回っていて当然なのだ。
「あーむかつくなあ。異様に腹立たしいや」
 亮祐以上に腹を立てている英治に、手をひらひらとさせ、気にしてないと示す。
「人の噂も七十五日。ほっときゃそのうち忘れるよ」
「このお人好し」
 英治が呆れ声を出す。
「いいじゃんか、お人好しで。ガタガタ騒ぎ立てることもないだろ」
「リョウ、お前ねえ……」
 泰然自若とした亮祐の様子に、英治は呆れを通り越して疲れを感じたらしい。
「もういいや。俺もこの件でぶつくさ言うの、アホらしくなってきたわ」
「そうしとけそうしとけ」
 亮祐にしてみれば、昨日の今日で騒げば格好の餌を与えることになる。それが嫌なのだ。
 折角静かにしていることで、それなりに傷ついたことを親友の英治にすら気づかせないようにしているのだから。ゆっくりと癒しているというのだから。
「ま、被害者のリョウがそう言うんだから、俺も黙ってましょ」
 英治は小さく頷き、スッと亮祐の席から離れた。
 その間際。
「早く忘れて、治せよ」
 と告げた。
「――――!」 
 どうやら、英治には筒抜けだったらしい。
 亮祐は苦笑して、指で丸を作って応えた。

〜合縁奇縁のミルフィーユ〜
6話 決意

 何日も気分の晴れない気持ちを抱えたまま、千尋は箸を手に取った。
「じゃあ、いただきます」
「はい、いただきます」
 無言のまま食べ進める。
 ――いつもであれば父や母とも楽しく会話しながら食すのだが、ここ最近は気が重い。早く食べ終えて、また悩みの世界へ戻りたかった。
「……ご馳走様。私、部屋に戻るね」
 食器を流しへと運んだあとそう告げ、部屋へ戻りかけたとき、美鈴が口を開いた。
「千尋。ちょっといいかしら?」
「何、ママ?」
 呼び止められた以上、無視するわけにはいかず、千尋は席に戻る。
「どんな悩みなのか話してみなさい」
「え!? な、なんで」
 言ってから、あ、と慌てて口を押さえるが、もう遅い。千尋は小さくため息をついて軽く母を睨む。
「ふふ。私は千尋の母ですからね。娘が悩んでいることくらいわかるわよ。それも、恋の悩みだってこともね」
 軽やかに美鈴は微笑み、お茶を入れる。
「そこまでわかるの……。隠しても無駄か」
「ええ、無駄。だから話してみなさい。アドバイスくらいはしてあげるから」
「そうかそうか。千尋も恋をする歳になったのか」
 美鈴と同じように優しく微笑む父の康夫に、千尋は苦笑した。
「パパ。私だって高1よ? 人を好きになってもおかしくないでしょ」
「それはもちろん。パパは千尋の恋を邪魔する気はないよ。尤も、千尋を泣かせるような男だったら容赦しないけれどね」
 娘思いの言葉を述べる康夫に、千尋は照れくさくなって、顔を背けた。
「もう、パパ。そんなことを言ったら、千尋が照れて悩みを言ってくれなくなるでしょう? 自重してくださいな」
「……すまない」
 窘められ、康夫は微苦笑して肩をすくめた。
「で、千尋。どんな悩みなの?」
 慈愛に満ちた瞳を千尋に向け、美鈴は促した。
「うん……実はね」
 そして、千尋は包み隠さず、自分の悩みを全て打ち明けた――。

 ――全てを聞き終えた美鈴は、開口一番こう言った。
「酷いことするわね、その子達。長塚君だったわね、彼がそう言うのも当然だわ」
「そう……よね、当然だよね」
「そして――千尋。あなたも同罪だから。わかってるわね?」
「うん、わかってる」
 静かな母の叱責に、千尋は神妙に頷いた。
 無論、わかっている。だからこそ、こうして悩んでいるのだから。
「確かにその子たちが悪いんだが。まさか、千尋の好きになった相手がオタクかあ……。ちょっとパパは複雑だなあ」
 康夫が実際に、複雑な表情を見せる。
「あら。オタクでもいいと思うわよ。興味の対象がアニメだって言うだけでしょ。別に人様に迷惑をかけているわけじゃないし。その長塚君、アニメにしか興味がないというわけじゃないんでしょう?」
「うん。だって、そうでもないと、ラブレターに誘われても来ないでしょ?」
 この騒動で、唯一の収穫と言ってもいいのが、長塚亮祐が三次元にも興味があるということだった。
「それもそうね。なら後は」
 美鈴は目に強い光を湛え、スッと千尋を見た。
「千尋がどうするか、ね」
「わかってる。わかってるの、それは。でも」
 千尋は俯き、唇を噛んだ。
 でも、どうすればいいかがわからない――。
「なんだ。そんなの簡単じゃないか」
 あっさりと、悩みを吹き飛ばす気軽さで言った父の康夫へ、千尋はポカンと振り返った。
「簡単って――何で?」
「何でも何も。方法なんて一つだけ。それも、至極簡単な方法があるだけさ。なあママ」
「そうねえ。パパの言う通り、簡単な方法が一つあるだけね」
 美鈴もにこやかに頷き、小首を傾げる。
「そ、そんな方法があるの!? パパ、ママ! お願い、教えて!」
 そんな方法があるのなら、すぐにでも教えてほしかった。いや、この際どんな方法でも構わない。自分は何が何でも長塚亮祐との関係を修復したいのだから。
「その前に一つ確認したいのだけど。千尋は彼のことを諦めたりする気はないのね?」
 つまり、この恋を捨てる気はあるか、と聞いている。
「ないわよ。そもそも告白すらしてない――できてないんだから。振られちゃうのは仕方ないけど、何もせずに諦めるなんて、絶対に嫌!」
 千尋は力強く、宣言するように言った。
「わかったわ。なら教えて上げる。それはね」
「それは?」
 思わず身を乗り出す千尋の様子に、軽く苦笑してから美鈴は告げた。
「謝ることよ」
「……は?」
「謝るのよ」
「謝るって……ええええ!?」
 教えられたその方法に、千尋は声を上げた。
「あら、千尋。はしたない」
「はしたないとかそんなの問題じゃない! 何よ、謝るって! それだけなの!? あんなにもったいぶっておいて!」
 知らず知らずのうちに声を荒げていた。
 でも、当然だ。「いい方法がある」と言っておきながら、それは単に、「謝ること」だったとは。
 しかし、美鈴は平然としたものだった。
「なら千尋。聞くけれど。あなたは長塚君に、ちゃんと謝ったの? 話を聞く限りじゃその気配が全くなかったけれども」
「そ、それは……」
 母の切り返しに、言葉に詰まった。
 実のところ、千尋は亮祐に謝りに行っていない。謝りたくないとか、そんなことではもちろんなくて、怖くて行けてないのである。
 門前払いを喰らいそうだとか、謝っても許してはくれないだろうなとか、会った途端に罵られてしまいそうだとか、そんなことが浮かんでは消えていき、どうしても会いに行く勇気というか――きっかけが掴めないのだ。
「いずれは必ず……」
「ほら、御覧なさい。謝ってもいないのに、次のステップに進めるわけもないでしょう?」
「あ、うん」
 次のステップってなんだろうと思いながらも、母の言う通りなので素直に頷く。
「だから、とにかく謝るのよ。話はそれからよ」
「でも、許してくれなかったら……」
 それが怖い。それ以前に、話を聞いてくれるかさえ危うい。
「一度でダメだったら、二回でも三回でも謝るの。確かに話を聞いてくれないかもしれないし、よしんば聞いてくれたとしても怒鳴りつけられるかもしれない。でも、それはそれだけのことをしたんだから当然。当然の報いだと思って素直に怒鳴られなさい。とにかく、許してくれるまで何度でも謝るのよ。何日かかっても。いいわね?」
「うん……頑張ってみる」
 それは確かに、母の言う通りだろう。許してもらえるまで、何度でも頭を下げ、心からの謝罪の言葉を伝えるしかないのだから。
「許してくれたら、次のステップ」
「その、次のステップって何?」
「決まってるじゃない。告白よ」
 何を言っているの、という顔で、美鈴は事も無げに告げた。
「こ、告白……!」
「許してもらうのは、それが目的でしょ。千尋の最終目標は、長塚君とお付き合いをすること。で、いいのよね?」
「それはそうだけどお……」
「『そうだけどお』じゃないの。許してもらえたら、すぐに告白するのよ。ちゃんと、自分の言葉で、想いをありったけ込めて、ね?」
「ラブレターじゃ……ダメ?」
「それで失敗して、こんな二進も三進も行かない状況を作っちゃったんでしょうに」
 美鈴の呆れた声を聞き、千尋はあう、と呻いた。
 そうだった。その通りだった。『ラブレター下駄箱作戦』が失敗して、こんなに悩む状況になってしまったのだった。
「わかったなら、ちゃんと自分の口から言いなさい。その方が重みもあるし、よりストレートに伝わるものよ。下手な美辞麗句はいらないわ。素直に想いをぶつけなさい」
「自分の口で、素直に、想いを、ぶつける……」
 ゆっくりと、噛み締めるように千尋はその言葉を呟いた。
「ふふ。千尋」
「何、ママ?」
「頑張りなさい。成功することを祈ってるから」
 そう言って、美鈴は優しく目を細めた。
「うん、ありがとうママ。私、頑張る!」
 千尋はガッツポーズをしてみせた。
「ええ、長塚君を紹介してくれる日を楽しみにしてるわね」
 美鈴は満足げに頷いたのだった。

「……一瞬でも上手く行かないように、と思ってしまったパパはダメかな?」
「……あなた」
「パパのバカー!!」
 父に向かって、クッションが乱れ飛んだ。


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