自室の机で、少女――小笠原千尋は頭を抱えていた。
「どうしてこんなことになっちゃうの……?」
 呪詛にも似た呻き。
 机には渡せなかったラブレターが一通。それを見て、千尋は大きくため息をついた。
「どうしよう……。長塚くんに、絶対に嫌われたよ……」
 自分はただ、好きな人にラブレターを渡したかっただけなのに。そのために準備もして、ドキドキしながらその日を迎えたというのに。
 それが、蓋を開けてみればあの状態。
 好印象どころか、悪印象を植え付けたことは間違いないだろう。
「こんなことになるなら……何が何でもあれを止めればよかった……」
 コン、と机に頭をつけて、今日の昼休みのことを思い返した。

〜合縁奇縁のミルフィーユ〜
5話 千尋の谷の恋心

 いつも通り、千尋は仲の良い三人と机をくっつけて、談笑しつつお弁当を食べていた。
「あははは、でしょー?」
「うん。そよねー」
 ひとしきり笑った後、千尋はチラッと腕時計を見た。
(十二時半か……)
 鞄の方に視線をやってから、行動を起こす時間を考える。
 今すぐに行ってもいいが、恐らくこの時間だと、中庭などで食べてる生徒や食後の運動のために校庭に出ている生徒がかなり出入りしているだろう。そんなところに手紙を出しに行くのはかなりの勇気が必要となるから、少々躊躇われる。
 となると。
(もう少し経ってから――昼休み終了十分前が勝負……)
 その辺りになれば、中庭で食べてる生徒たちはもう戻ってる時分だし、校庭で遊んでいる生徒たちはギリギリまでいるから、昇降口は閑散としているはず。
(よしっ……!)
 千尋は心で頷くと、弁当箱をしまい、そっとレターセットを取り出して机の中に――が。
「あっ」
 やはり内心緊張していたのか、机に入れようとしたレターセットを落としてしまった。
 バサ、と床に落ちるレターセット。幸い、袋に入ったままだから散らばることはなく、その真ん中に入れていたラブレターも誰の目に触れることはなかった。
 ほっとして、急いで束を掴んで鞄の中に仕舞い込む。
 しかし、そこは年頃の女の子。目聡く見つかってしまった。
「ね、それレターセット?」
「可愛い絵柄だねー」
「え、うん。私だって一応女の子だし。こういうの、持っててもおかしくないでしょ?」
 内心の動揺を悟らせないように、当たり障りのない理由をつけてレターセットのことを誤魔化す。
「ふふ。そりゃおかしくないわよ」
「女の子だし、レターセットくらい当然でしょ」
「ええ、その通りね。小笠原さんが持っていることに何の変なところもないわ。それはもう完璧に」
「あ、ははは。そ、そう。ありがとう……」
 千尋たち四人のリーダー格、茶髪が特徴的な南雲璃々がなんかうっとりした表情で言うのを、幾分引き気味になりながら、笑みを返す。
(璃々ちゃん、いい子なんだけど……)
 ただ、なんと言うか、千尋のことを崇拝しているような言動をするのが気になる点ではある。
「ところでさ、ちっひー。また告られてたでしょ、三年の人に」
 千尋を「ちっひー」と呼ぶのは本田椿。一見遊んでいるような風貌で――実際遊んでいる子である。
「え、あ、うん。でも断ったよ?」
「これで何人目?」
「……今日だけで四人目ね」
 答えたのは最後の一人、住友純子。見た目は眼鏡を掛けた知的な雰囲気の文学少女。でもその実、結構性格はキツイ。
「大変ねえ、小笠原さん。そんなに告白を断るのは大変でしょ」
 心底心配している表情で、璃々が言う。
「まあ、そうだけど。でも、これはちゃんとわたしの口から言わないと駄目だから」
 せっかく告白してくれたのだから、こちらが付き合う気がないとしてもちゃんと自分の口で断らなければ、誠意は示せない。
「ふーん。でもさ、断るのがしんどいなら、誰かと試しにでも付き合ってみたら? 彼氏がいるってだけでも回数減るよ?」
「うん、でも、私は」
「何言ってんの。とっかえひっかえの椿じゃあるまいし、小笠原さんが『試し』で誰かと付き合うはずないでしょう」
「悪かったね、璃々。とっかえひっかえで。言ってみただけじゃん」
「まあまあ。椿ちゃんが私のためを思って言ってくれてるのはわかってるから。ね?」
 ムッとする椿を宥める。
(でも実際、大変なんだよう……)
 今までに、何人に告白されたか。もう覚えているのも億劫になってきた。一日で十人以上にされたこともあるし(ラブレターに呼び出されたら、何故か全員まとめていて、「さあ、誰を選ぶ」と言われたり)、時には他校生が待ち伏せていたこともある。
「可愛いちっひーならではの悩みよねー」
「……もう、椿ちゃん」
 ニヤニヤする椿に頬を膨らませる。
「ふふふ。小笠原さんが可愛いのは誰もが認めるところ――あ」
 微笑んでいた璃々が、急に顔をしかめる。
「? どうしたの、なっちゃん」
 純子が不思議そうに小首を傾げる。
「いえね、嫌なことを思い出しちゃって」
「嫌なこと?」
「そう。みんな、1-Dの長塚亮祐、高見沢英治って知ってる?」
(え――!?)
 いきなり璃々の口から出た名前に、千尋は水筒のコップにつけた手を止め、目を見開いた。
「誰、それ?」
「……知らない」
「そう。小笠原さんは……知るわけないわよね」
(いやいやいや! 知ってるよー!? よぉく知ってる!)
 知らないはずがない。秘めた想いを向けている人なのだから。
 しかし、口には出せないでいるうちに璃々は勝手に納得したらしく、話を進めていく。
「で、その長塚なんたらがどうしたのさ?」
「D組の子から聞いたんだけど、小笠原さんのことを話題にしていたらしいのよ。身の程知らずにも!」
「だから? 話くらいするでしょ、この学校の男子なら」
「むしろしないほうがおかしい」
 椿と純子は、何だそんなことかと興味をなくしたように素っ気ない態度。だが、千尋はそうは行かなかった。
(長塚くんが!? 私のことを話題に!?)
 それは嬉しい。向こうも千尋のことを知っているということだから。
「それだけじゃないわ! 二人して可愛いって、小笠原さんのことをね」
 二人が興味を持ってくれないのが不満らしく、璃々は眉間に皺を作る。
(え!? 長塚くんが……私のことをか、可愛い……?)
 思わずお茶を吹き出しそうになるのを何とか堪え、飲み干す。
 自分のことを可愛いだなんて……少しは意識――というか興味を持ってくれているのだろうか。
「いや、だからそれがどうしたってのよ? ちっひーのことを可愛いって言う奴なんて、捨てるほどいるんだし」
「可愛くないという人がいたら、見てみたいわ」
「そんな人いるわけないでしょ! そんなのは私が許さ……じゃない。確かに言うこと自体は問題ないけれど。言った奴らが問題なの」
「は? 言った奴ら?」
「D組のその二人が?」
 椿も純子も首をかしげてキョトンとし、千尋も疑問符を頭に浮かべる。
(長塚君と……ええと、高見沢君だっけ。その二人がどうかしたのかしら)
 何が問題なのだろう。千尋自身としては全く無問題なのだが。
「その二人ね――オタクなのよ」
「へ? オタク?」
「オタクって、あのアニメとかのオタク?」
「そうよ。クラスでも結構有名みたいよ、その二人。アニメ好きのアニメオタクって」
 璃々が反応を確かめるみたいにこちらの顔を見回す。と、椿と純子はあからさまに嫌そうな顔をした。
「うわっ。キモッ!」
「最低だわ」
「そうでしょ!? そんな奴らが小笠原さんのことを可愛いだなんて――言っていいわけないわよね」
 意を得たり、とばかりに璃々は胸を張る。
 しかし、当の千尋は。
(そっかー。長塚君、アニメとか好きなんだ。そういえば、初めて会った時も本屋だったっけ)
 納得納得と心で頷く。
「しかもオタクってあれでしょ? アニメとかゲームのキャラ……二次元だっけ、そっちにしか興味なくて、三次元――現実の女には興味示さないんでしょ?」
「そうそう。私も聞いたことある、それ」
「最低通り越して最悪よね」
(そうなんだ。オタクの人って二次元にしか興味なくって、現実の子に興味が――んん!?)
 はた、と動きが止まる。
 気付く。現実の女子に興味がない、その意味に。
(えええええっ!?)
 つまり、それは。
(私にも興味を持たない……恋愛対象外ってこと!? ちょ、ちょっと待って!)
 冗談ではない。
 自分が長塚亮祐に絶対に受け入れられるとは微塵も思ってはいない。いくらなんでもそこまで自意識過剰ではないし、振られることもある程度は覚悟している。
 しかし――だ。
 それはあくまでも、あくまでも相手が千尋のことを興味の対象として見てくれている、という前提の下で成り立つわけで。
 それが崩れている――そもそも範囲の外にあるとなると、勝負にすらならない。
 なんと言うか、不戦敗? スルー? ぶっちゃけ無視? てな感じである。
(そ、それは……)
「全く。そんな奴が小笠原さんのことを語るなんて、百年早いわよ。いえ、それ以前にその資格がないわ」
「そこまで言うかね。まあわからないでもないかな。ねー、ちっひー。ちっひーはオタクなんかに、自分のこと何やかんやと言われんの、どう思う?」
「ねえ、千尋ちゃんは椿の言うことをどう――」
「ダメーーーーーー!!」
『え?』
 いきなりの大声に三人は目を丸くし、叫んだ本人、千尋へと目を向ける。
「ダメったらダメーー! 長塚くんがそんなの、絶対にダメッ!」
 千尋はそんな視線に全く気付かず、再び叫ぶ。
「おーい、ちっひー。いきなり叫んでどうしたのさー?」
「千尋ちゃーん?」
「小笠原さん……?」
「だから、ダメなものはダメって……え?」
 ようやく我に帰った千尋は、目をパチパチとさせて辺りをゆっくりと見回し――現状を理解して、真っ赤になった。
「ご、ごめん……なんでもないから……」
 ぷしゅうう〜と湯気でも出しそうな勢いでふらふらと上半身を揺らし、がっくりと机に突っ伏した。
「本当にどうしたのさ、ちっひー?」
「なんでもないよお」
「とてもそうは見えなかったんだけど。それに、ダメって何が?」
「だからなんでもないってば」
 椿と純子に適当に手を振って、小さくは〜とため息をつく。
「私にも大丈夫とはとても見えなかったんだけど――あ!」
「なあに、璃々ちゃん」
「そうか、そういうことね! 小笠原さんもやっぱりそう思ってたのね!?」
「はい?」
 心配そうな声音から、一気に元気になった璃々の変化に内心不思議に思いながら、身体を起こす。
「小笠原さんも、オタクになんかに自分のことを話されたくなかったのよね?」
「ええ!? それ違っ――」
 自分想いとは真逆の結論に持っていった璃々に、千尋は慌てた。
「あ、そういうことかあ」
「さっきの『ダメ』はそういうことだったのね」
 しかし、璃々の考えに納得してしまう椿と純子。
「ちょ、ちょっと待って! 何でそんな結論に」
 全くの的外れだ。自分がダメと言ったのは、長塚亮祐が現実の女の子に興味がないということが『ダメ』だということであって、決して自分のことを話しては『ダメ』ということでは全然ないのだ。
 彼が自分のことを話してくれるのは、むしろカムカムウェルカム。いくらでもどうぞ、である。
(ああ、それなのに、それなのに……)
 他の三人は、話しては「ダメ」の方向で結論づけてしまっている。
「じゃあ、どうしようか。そいつらに、話すなって直接言うの?」
「う〜ん。そんなことしても意味ないでしょう。もっと効果的な方法……あいつらに身の程を知らしめるいい方法は……あ♪」
「? いい方法でも思いついたの?」
「ええ♪」
 なにやら思いついたらしい璃々は、自分の鞄をごそごそやっていたかと思うと、薄いブルーのレターセットを取り出した。
「レターセット?」
 純子が「?」と首をかしげるのを横目に、璃々は早速手紙を書き出した。
「ええと。拝啓――」
 書き出した璃々の手元を覗き込みながら、椿が訊ねる。
「ねえ、璃々。いきなり何手紙書いてんの?」
「いいこと思いついたのよ」
「どんなどんな?」
「それはねー……」
 璃々が手紙を書く目的を告げると、椿と純子は「へえ、面白い!」「いいかも……」と諸手を挙げて賛成した。が、千尋はそんなのに賛成するわけがなかった。
「璃々ちゃん、それはダメっ。そんなことしたら――」
 長塚亮祐に嫌われる。嫌われてしまう。
 いや、それ以前に、そんな行為が人として許されていいわけがない。そんな、想いを蹂躙してしまうようなことを。
「大丈夫だって。ちっひーは心配性だなー」
「優しいのね、小笠原さんは。でも椿の言う通り。気に病むことじゃないわ。所詮はオタク相手の悪戯だもの」
「違うの! そうじゃなくて――!」
 オタクだとかそんなことは関係ない。やっていいことと悪いことがある。それだけだ。
「千尋ちゃんもダメって言ってたじゃない。自分のことをオタクが話すのはダメって」
「純ちゃん、そうじゃない。私が言いたいのは」
 この行為がやってはいけないことだということ。仮に千尋とは無関係な人であっても、こんなことは止めようとする。
 だが、三人は熱に浮かされたように、推敲を重ねつつどんどんと文章を増やしていく。
「で、相手はどっちにするの? 長塚? 高見沢?」
「……さっき、小笠原さんから長塚亮祐の名前が出たから、そっちにしましょう」
「なっ」
「差出人は?」
「イニシャルにしましょ。これは制裁なんだから、C.Oで」
 あれよあれよと言う間に決まって言ってしまい、あまつさえ、差出人には自分のイニシャルが。
「ねえ、本当に、こんなの」
 千尋は最後の抵抗を試みるが、あえなく失敗し――書き上がったラブレターの体裁を持った絶望の手紙は下駄箱に届けられ、発動の時間をカウントダウンし始めてしまった。
「これで、放課後が楽しみね」
 ワクワクした表情の璃々たちとは対照的に、千尋の顔色は悪くなる一方だった。
「もうダメ……」

 そして――発動。

「はああああああああ〜〜〜」
 回想を終えた千尋は大きな大きなため息をつき、頭を抱えた。
「これからどうしよう……」
 どんな顔をして彼に会えばいいのだろう。
 あんな酷いことをしてしまった自分が。反対したといっても、あの場にいて、止められなかったのだから同罪だ。
「かーなり怒ってたよね。……ううん。あれは怒ってたというより」
 本人が言っていたように、呆れたに違いない。
『呆れ果てた』『怒る価値すらない』『人としてどっかおかしい』――淡々と言われただけに、長塚亮祐がどれだけ千尋たちに対して絶望したかがよくわかる。
「やっぱりどんなことをしてでも璃々ちゃんたちを止めるべきだった……」
 例え、自分の思いが露見してしまったとしても、その方が間違いなく彼との関係は今の状況より数段上手くいっていただろう。
「今更ラブレター渡しても無駄だよね……」
『また俺をからかうのか?』と疑われて破り捨てられるのがオチだろう。
(本当にどうすれば……)
 出口の見つからない迷宮に手ぶらで迷い込んでしまった心境のまま、千尋は背もたれに体重を預け天井を見上げた。
 睨んだところで答えは出てこない。
「はあ……」
 もう、彼への想いは諦めるしかないのだろうか――。
 そんな考えすら浮かんだとき、ドアがノックされる音がした。
「千尋。ご飯よ。降りてきなさい」
 母の美鈴だった。
「あ、うん。今……行くね」
 正直なところ、とてもじゃないが夕食を食べたい心境ではない。が、それでは両親に心配をかけてしまうだけだろう。
 千尋は重い足取りで、一階に向かった。


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