4限終了の鐘が鳴り。
 教師が教室を出ていくと同時に、亮祐は立ち上がった。
「んじゃ、俺は」
「ヘイヘイ、行ってこい」
「小笠原さんによろしく」
「たまにはこっちで一緒に食べよって言っておいてね」
「りょーかい」
 友人たちの声を背に亮祐は教室を出、いつもの場所へ向かった。

授業が終わり、きっちり机の上を片付けて、千尋はトートバッグ片手に立ち上がる。
「じゃあ、後でね。私は長塚君とお昼食べてくるから」
「はいはい」
「いってらっしゃい」
「たまには私たちとも食べてね?」
 若干寂しげな声も聞きつつ、千尋は笑顔で手を振った。
「うん、今度みんなで食べようね。長塚君も誘うから」
「……そういうことは言ってないのだけど」
 璃々が発したため息混じりの声を聞き流し、ウキウキと裏庭へと足を向けた。

〜合縁奇縁のミルフィーユ〜
48話 ミルフィーユはいかが?

「はい、どうぞ。今日はね、ちょっと炊き込みご飯作ってみたんだ」
「へえ。シメジの炊き込みご飯か」
「うん。そろそろ時期だもんね」
 優しい秋の日差しが照らす裏庭で、亮祐と千尋は日課となっている昼食を堪能していた。
「……うん、美味い美味い。小笠原さんの弁当はいつ食っても美味いね」
 素直に褒めると、千尋は心底嬉しそうに微笑んだ。
「えへへ、そう? 実はママにも褒められたんだ。『料理の腕が上がった』って。毎日お料理してるから、上がって当たり前と言えば当たり前なんだけど、長塚君に褒めてもらえるのは嬉しいな」
 屈託なく言う千尋はお茶を飲みつつ、ほう、と息をついた。
「? どうかした? ……もしかして、疲れてる?」
 毎日弁当を作ってもらえるのは僥倖としか言えないほどに感謝しているが、千尋はその分早起きをしなくてはいけないから、疲れが出てしまったのではないかと焦ったのだが、笑顔で首を振られた。
「まさか。長塚君のために早起きするのは何ともないし、むしろ嬉しいよ? だから平気。今のは、そうじゃなくてね」
「そうじゃなくて?」
 では何だというのだろう。何か心配事でもあるのだろうか。
「ただ……色々あったなあって。今こうして、長塚君とのんびりできているのがね、何だか嘘みたいで……」
 可憐な頬に透明な笑みを乗せて空を見上げる千尋に、亮祐も頬をポリポリと掻いた。
「確かに色々あり過ぎたしなあ。ここにいるのは嘘でも何でもないけどさ、こうやってゆっくりできるってのは、ちょっと不思議な気分だな」
「だよね。でも、こうしていることができるのは……璃々ちゃんたちのお陰でもあると思うんだ、私は」
「あの三人か……。確かにその点は認めるしかない……」
 小さく呻き、肩をすくめる。
 千尋と知り合った当初は間違いなく敵に違いなかった。しかし、田坂が出張ってきた辺りからむしろこちらを支援してくれているような形になり、最終的には田坂を遣り込めるということまでしてくれたのだから。
「田坂先輩、大変だったみたいだもんね。噂立てられて……」
「その噂を流したのすら、あの三人だったんだから、恐ろしいわ」
 自分がされたことなど、まだまだ生温かったのだと改めて実感する。
 田坂は璃々たちが流した噂と、亮祐と千尋が寄りを戻したという事実により、『オタクに負けたイケメンもどき』と言うレッテルを貼られ、火消しに躍起になって駈けずり回り、それが信憑性を増してさらに事実として周囲に広がり、さらに……という悪循環に陥ったらしい。
 そして――。
「トドメ刺したの、小笠原さんだもんな」
「あうっ!? た、確かにそうかもしれないけど! でも、私は別に間違ったことは言ってないもん!」
 揶揄した口調で亮祐がニヤリとすると、千尋はムキになって言い返した。
「間違ってはいないけどねー」
「そうだもん、間違ってなんかいないもん! しっかりとお断りしただけだもの! それだけなの! そうでしょ!?」
「まあ、そうだわな。あれに関しては、小笠原さんは全くもって悪くない」

 ――田坂の噂が校内中に知れ渡った頃。
 亮祐と千尋が下校しようとしたとき、不意に二人の前に姿を現したのである。
 いつのも余裕はどこへやら、その形相は焦燥と憤怒で汚く歪み、女生徒の憧れの的の姿はどこにもなかった。
 そして。
『小笠原さん! 皆が勘違いして大変なんだ! 俺がそこのオタク野郎に負けたって! 君が好きなのはそいつだって噂で迷惑してるんだ。だからはっきりさせてやってくれないか? 君が好きなのは俺であって長塚じゃないってことを』
『――ええ?』
『君がそこのオタクと――未練たらしく張りついてるウザいやつと一緒にいるのは同情でしかないって。可愛そうだから一緒にいるに過ぎなくて――君が本当に好きなのは俺だってことを、皆に教えてやってくれ!』
 そんなことをのたまった田坂に、千尋は呆気に取られて目を丸くしていた。
 横にいた亮祐も開いた口が塞がらず。
 田坂の頭のネジが一本どころか、全て抜けてしまったのではないかと思ったほどだ。
『――先輩……』
『さ、言ってくれ。君に相応しいのは長塚なんかじゃんかくて、俺だってことを』
 大仰に両手を広げ、自分に酔っているとすら思える素振りで宣言する田坂を、千尋は眉をひそめて眺めていたが――。
『田坂先輩。何を仰っているのか、よくわかりません。私が『本当に』好きなのは先輩だって……どういう意味です?』
『そのままの意味さ。君だって、俺と付き合いたいだろ? 俺ほどの高スペックの人間はそうはいないんだから――』
(大丈夫か、こいつ……)
 亮祐は呆れ果て、口の端を上げた。
 どうやら、本当に頭のネジが数本、外れたらしい。そうでもなければ、ここまでの言動は到底取れないだろう。
『え〜と、先輩? あの、私がどうして先輩を好きだなんてことになるんですか?』
『何を言ってるんだ? 何度だって一緒に帰ったし、お茶したし、デートもしたじゃないか! 小笠原さんが俺に好意を抱いていてることなんて丸わかりなんだよ。だからさ、素直になって言いなよ。俺のことが好きってさ!』
 田坂はそう嘯きつつ、亮祐になぜか勝ち誇った表情でニヤリとして見せた。
 本気でそう思っているらしい。その自信は一体どこから来るのだろうか。
 対する千尋はというと。
 あからさまなため息を一つ吐き。
『はあ……あのですね、先輩。何故私が先輩を好きだという結論に達してしまったのか――多少は私も責任を感じますけど……。いい機会なのではっきりさせて頂いても構いませんか?』
『ああ、もちろん。君が誰の彼女なのか、知らしめる言い機会だからね。周りにも、そこの身の程知らずにも、ね』
 部別の視線を向けてくる田坂に、亮祐は肩をすくめてみせた。
『勝手に言っててください』
『ふん。早く言ってくれるかな。俺も辛抱強いほうじゃないんでね』
『そうですね、私ももうはっきりさせておきたいので。前みたいなことになんてなりたくないですから。――では先輩?』
『ああ、なんだい?』
 ニッコリ笑う田坂に、千尋もニッコリと微笑み返し。
『私は先輩このこと――』
『うん、うん!』
『好きでも何でもありません!』
『――は?』
 瞬間、田坂の顔が引き攣った。
『私が好きなのは、長塚君です! これ以上ないくらいに! 大好きです、長塚君が!』
『なっ!? な、な、な……!』
『長塚君も私のことを好きだって言ってくれました! だから……私は長塚君の彼女です! これからずっと! いつまでも!』
『そ、そんな、んな、んな……!』
 酸欠の金魚みたいに口をパクパクさせ、田坂は茫然自失の様子だった。
 そこにトドメとばかりに。
『それじゃあ、私はたちはこれから一緒に帰るので、さようなら』
『そんじゃ、先輩。失礼しやーす』
 笑顔のまま千尋は亮祐としっかり手を繋ぎ、田坂に背を向けた。
 その場を後にした二人の背後で。
『嘘だろおおおおおおおお!』
 田坂の悲鳴が木霊したのだった。

「あれから、田坂先輩の株、大暴落だもんな。今までモテモテだったのに、今じゃ女生徒に全く相手にされなくなった、と」
 あれだけ大騒ぎしたのだから、その分噂が広まるのも早かったわけで。
「うん。聞いた限りだと、二股とかしていたみたいだし、他校にも彼女いたみたいだし……。傷つく子がいなくなってよかったんじゃないかな」
「そだね」
 正直、亮祐は田坂には全く同情していない。自業自得だと言いたい。
 千尋は優しいからどうかなと思ったのだが、自分とほぼ同意見らしい。
「――さて、ご馳走様。そのそろ、行こうか」
「うん。明日も期待していてね」
「いつも期待してます」
「えへへ」
 弁当やレジャーシートを片付け、立ち上がる。
 校舎へと向かいながら視線を落とすと、落ち葉で純短が敷かれていることに改めて気がつく。
「? どうしたの?」
「いや。秋だなあって思ってさ」
「ふーん?」
 小首を傾げる千尋に小さく笑いながら、亮祐は一枚拾い上げた。
「……同じなのかもなあ」
 出会って会話して、笑って泣いて、怒って、憤って。
 悲しく思って、楽しく思って、切なく思って愛おしく思って。
 多くの人と交わって、様々な経験をして、沢山の感情を積み重ねて。
 恋は育まれていくのかもしれない。
 そう、ヒラヒラと舞い落ちる木の葉のように。
 一つ一つは僅かでも、数多を積み重ねて、形作っていく。
 合縁奇縁で結ばれた、千の感情と経験で育まれた。
 この不思議な恋物語は。
 そう。
 ――合縁奇縁のミルフィーユ。

「……小笠原さん」
「なあに?」
「好きだよ」
「うん! ずっと一緒にいようね!」
「ああ、もちろん!」
 握った手は、とても暖かい――。


〜了〜

BACKINDEX
創作小説の間に戻る
TOPに戻る