亮祐は自室の壁に寄りかかり、じっと宙を見上げた。
帰宅してからというもの、色々と考えているのだが、答えが出てこない。
答えが出てこないというより、考えが纏まらないのだ。いくら考えても、千尋との思い出や英治たちとのやり取り、付き合いがばれた後の嫌がらせが延々と浮かんでくるだけで、これ、というものが見つからない。
「ああ、もう。全然わかんないよ……」
開いたまま、読んでいないライトノベルを放り投げる。
一体、どうすれば『答え』が出てくるのだろうか。
ひとしきり頭を掻き毟ったところで、穂乃果に言われた言葉が脳裏を過ぎった。
『自分が彼女をどう思っているのか』
『どうしたいのか』
『どうすれば笑えるのか』
この三つのことだけを考えろ――。
穂乃果は確かにこう言った。
それがこの状況を変える手立てとなるならば。
「一つ一つ考えてみるか――」
亮祐はゆっくりと目を閉じた。
〜合縁奇縁のミルフィーユ〜
41話 間に合った!
千尋は差し出された手をじっと見つめた。
「えと……」
「うん? だからさ。今週はもう文化祭だろ? 一緒に回ろうよって」
「で、でも、私は……」
「構わないだろ? 他に約束もしてないだろうし」
田坂はさも当然の如く言った。
「私は……友達と回ろうと――」
璃々や椿、純子と回ろうと思っていた、と出まかせを呟く。
本当は休むつもりだった。
亮祐と回れない文化祭なんかに出たくない。風邪とでも適当に言って、二日間、家に閉じこもろうと思っている。
だが、田坂は妙な表情を浮かべていた。
悪戯を見抜いた後の、得意げな表情。
「?」
「何言っちゃってんの。訊いたけどさ、『二人で回ってくれて構わない』と言ってもらったよ。いい友達持ったよね、小笠原さん。俺らのこと、よくわかってる」
「な……」
絶句した。
以前の言動から考えて、田坂にそう言ったのは恐らく椿だろう。
しかし、何故椿がそんなことを田坂に告げたのかがわからない。椿とて、千尋の気持ちは知っているはずなのに。
(本気で私と先輩を付き合わせようと思ってるのかな……)
もしそうだとしたら、ありがた迷惑以外の何物でもない。
田坂と付き合う気など、どこにもないのだから。
そんな心情など露知らず、田坂は黙ってしまった千尋に追い討ちをかけるように言ってきた。
「だから何も心配はいらないさ。小笠原さんは何も考えずに俺と文化祭を回ればいいんだよ。邪魔だって入るはずもないしね」
「自信満々ですね」
「当たり前じゃん。もう俺らは公認も同然だよ? 邪魔しようなんて奴、いるわけないじゃんか」
ま、俺以上に小笠原さんに相応しいのなんていないし、と田坂は昂然と呟いた。
「…………」
「大丈夫だって。いつだって楽しませてあげるからさ。何も考えなくても平気なように。とにかく、文化祭は俺と回るってことで。いいね」
「何も……考えなくても……?」
ぽつり、と千尋は呟いた。
「そう。楽に付き合えるよ。変な噂だって立たないし、色々な所へだって連れてってあげるし。思い悩むことだってなくなる。全部俺に委ねりゃいい。楽だよ?」
「――――」
千尋は差し出されたままの手を、再びじっと見つめた。
(この手を取れば……楽になれる……?)
この手を取れば、文化祭のことは了承したことになり、恐らくそのまま、恋人として付き合うことになるだろう。
そんな確信がある。
もちろん亮祐への想いは消えてない。消えるはずがない。
だが、復縁の可能性があるのかないのか――全くの不透明な状態が、肉体的にも精神的にも辛いのは事実。それが消えるだけでも、確かに心の負担は減るだろう。
田坂に好意など抱いてはいないが――何も考えることなく、深く悩むことなどなく付き合える――それも一つの形なのかもしれない。
(そっか、そうなんだ……)
唐突に、千尋は理解した。
恋人がいながら、特に不満もないのに、好きなのに、浮気をしてしまう人たちのことを。
彼らは流されてしまうのだ。
雰囲気に、一時の感情に、勢いに。
彼らは縋ってしまうのだ。
慰めに、同情に、優しさに。
だが――流されてしまえば、縋ってしまえば、楽になれるのも――また事実だ。
「そうですね……?」
ならば、田坂に縋ってしまっても、楽になれるのなら流されるのもいいのかもしれない――。
許されることはなくとも。
亮祐と、いつまで経っても元に戻れないのなら。
(この手を取って、『お願いします』って言っちゃえば、もう……)
「ああ、そうさ。任せる付き合いっていいもんだよ」
千尋の言葉に勝利を確信したらしく、優しげな口調で言いながら口元が厭らしく歪む。
目も爛々と欲情に輝き、獲物を前にした獣のよう。
そんな男の本性にも気づかず、俯きがちに千尋は手を伸ばし田坂の手に重ねようと――。
「ちょっと待った」
パシッと、横から伸びてきた別の手に掴まれた。
「――え?」
「!?」
聞き覚えのある声にハッとして顔を上げると。
「悪いけど、そうは問屋が卸さないってな」
今となっては懐かしいとさえ思える、好きな人の顔が、そこにはあった。
「長塚君!」
「長塚!? 何でお前が!?」
意外過ぎる人物の登場に目を丸くする千尋と、凄まじい目つきで睨む田坂。
「すみませんね、先輩。何でかと言うと、昔の告白番組でいうところの『ちょおーっと待ったあー!』ってやつです」
剣呑な雰囲気に構わず、亮祐はサラリと告げた。
「そんなこと訊いてねえよ! 今さらてめえなんかお呼びじゃねえっつってんだよ!」
「かもしれません。……小笠原さん」
「は、はひ!?」
緊張のあまり舌を噛みそうになってしまい、変な声が出てしまう。
亮祐はそんな様子がおかしかったのか、小さく笑ったが、すぐに真剣な面持ちになった。
「ちょっと話があるんだ。俺に付き合ってほしい」
「話……?」
小首を傾げると、こっくりと頷く。
「ああ。もし、俺とはもう話をする気がないって言うなら、何も言わないよ。二度と話しかけたりもしない」
「じゃあもう二度と話しかけんなよ! 小笠原さんが、てめぇなんぞと話をするわけが――」
「行く。場所はどこにするの?」
千尋は即答した。断るわけがない。亮祐と話のできる機会を逃すわけがない。
亮祐のほうから話しかけてくれたのだから。
「こっち。二人だけで話したいからさ」
「うんっ」
「――へ?」
遮られた上、千尋にあっさり了承された田坂の、間の抜けた声が漏れる。
「え、ちょ――」
ポカンと呆けた表情となった田坂を尻目に、いそいそと亮祐に手を引かれながら歩く。
言えばすぐにでも慌てて亮祐は手を離すだろう。
だから言わなかった。必要も感じなかった。
そして、気がつかなかった。
自分が、知らず知らずの内に笑顔で歩いていることを。