翌日の昼休み。
 弁当箱を片付けた亮祐は、クラスの雰囲気に違和感を覚えた。
(……何だ?)
 違和感というよりも、クラス中から視線を感じる。それも、好意的ではなく、もっと悪意――言い換えれば、侮蔑的な視線。
 それに加えて、聞こえてくるクスクスといった笑い声。間違いなく、亮祐に向けられた嬉しくない類の注目。
 自分で気付かぬうちに、クラスから笑われるようなことを仕出かしていただろうか――そんなことを考えていると、ガラッ! と勢いよくクラスの扉が開き、英治が飛び込んできた。
「りょ、リョウ! 大変だ!」
「? どうした英治。そんなに息切らして?」
 何かあったらしい。英治の表情は驚愕と何かを気遣う雰囲気があった。
「リョウ、あのな」
「ああ」
「それが――」
 そこまで言いかけ、英治は急にクラスを見回した。
「?」
 亮祐もつられて首を動かすと、クラスメイトの何人かが慌てたように顔を逸らすのが見えた。
「何だ?」
  顔を逸らすようなことがあったのか、自分絡みで。
「リョウ、ちょっと俺と一緒に来い」
「は? いきなりだな」
「いいから! 来りゃわかる」
「……? わかったよ」
 急き立てられ、亮祐は英治と一緒に廊下に出た。
「どこに行くんだ?」
「掲示板」
「掲示板?」
 亮祐は首を捻った。
 掲示板があるのは、一階の階段から二階に上がった正面だ。一年の教室は二手に分かれており、掲示板を正面に見て右に行けば、奥からA、B、C組が、左に行けば手前から奥に向かってD、E、F組がある。
 いつもは短期留学とか、予備校の広告とかが貼ってあるだけの掲示板に、一体何があるというのか。
 しかも、それが自分に関係していると?
 それがなぜなのかわからぬまま、掲示板へ向かうと、そこには多数の生徒が何やら話していた。
「何でこんなに人が?」
「新しく張られた記事のせいだ」
「記事?」
「見た方が早い」
 英治はどんな記事かには言及せずに、回りの生徒を押し退けるようにしつつ、掲示板へと近づいていく。
 それに、何人かの生徒が気付いた。
「あ、長塚だ」
「え!? 写真の!?」
「ご本人登場……」
 亮祐の姿を認めた途端、ざわついていた一瞬生徒が押し黙る。が、すぐにヒソヒソ話が始まり、あからさまな嘲笑を向けてくる者や、卑下た笑みを浮かべている者、「ざまあねえな」と呟いている者もいる。
「何なんだよ、一体……」
 亮祐は訝しげに眉を寄せながら、英治の言う新しい記事に目をやって――額に手を当てた。
「これか……」
 そこにあったのは、一枚の模造紙に書かれた文章と写真。
 見出しに『オタクの身の程知らずの行動に、愛の制裁!』と赤マジックで大きく書かれ、その下に写真つきで新聞の如く記事が書かれている。
 内容は勿論、先日の、屋上での出来事の一部始終。それが事細かに書かれ、侮蔑と嘲笑の言葉で締められている。
 例えば、「オタクであるのも関わらず、C.Oの名のラブレターなんかに釣られ、ノコノコと屋上にまでやってくるとは、驕るにも程があり、思い違いも甚だしい。貴様なんぞに彼の人がラブレターを出すものか」とか、「策略にかかったのを理解したのも束の間、すぐに帰ろうとした。一応、羞恥心という人間らしい感情も持っているらしい。生意気にも」などと書かれているのだ。
 それらの記事の横に貼られている写真は、当然、あの時女生徒たちに撮られたもの。わざわざ一日で現像に出し、使ったらしい。
(ご苦労なことで)
 ここまで徹底されると、むしろ「よく頑張ったなあ」と感心してしまうほどである。
「なあ、リョウ。これ……ホントなのか?」
 同じように記事を見ながら、英治が険しい表情で聞いてくる。かなり頭にきているらしい。
「ああ、本当」
「じゃあ、あのラブレターは……」
「罠だった、ってわけ」
 亮祐は肩をすくめ、やれやれと首を振った。
「だから話したがらなかったのか……って、何だよ、それは! 誰だ、やったの! ふざけやがって!!」
 ギリ、と歯を噛み締め、英治が怒鳴る。
「そんなに怒るな、英治。何で本人の俺よりもお前がヒートアップしてんの」
「何だよ、当然だろ! というか、お前は怒ってないのかよ、こんなことされて!」
「む〜。なんて言うかなあ。怒るっていうか――?」
 今の気持ちを言おうとした時、周囲がシンと静まったのに気がついた。
「どうした?」
「?」
 怒りまくっていた英治もキョトンとし、首をかしげた。
 と、スッと人垣が割れ、姿を現したのは小笠原千尋と他三名。まるでモーゼのように割れた人並みを歩いてくる。
「小笠原さんか……」
「…………?」
 亮祐の言葉に何か含むものを感じたのだろう、英治が学校随一の美少女と亮祐を見比べた。
「なあリョウ。お前小笠原さんと」
 そう英治が言いかけた時、亮祐と小笠原千尋の目が合い、逸らしたのは亮祐。無関心の如く。
 それに気付いたのか、少女は少し俯いて亮祐たちの前を通り過ぎようとしたが、連れの声で立ち止まった。
「あら、そこにいるのはドン・キホーテくんじゃない。どうかしら、この趣向。楽しんでくれた?」
 どっ!
 リーダー格らしい、茶髪を一つにまとめた少女の台詞に、周囲が沸く。もちろん、この少女を含めて全員、屋上で会っている。
「ご苦労なことだ。随分と勤勉なんだな」
 亮祐はあっさりと受け流したが、英治は噛みついた。
「てめえかっ! こんなくだらねえことしやがったのは! 何考えてやがる!」
 だが、少女はちらりと英治を一瞥し、
「なに、こいつ。あんたのお仲間? だったら、オタク同士、傷でも舐めあってたら?」
「てめえっ……!」
「よせって、英治。いまさら怒鳴ったって、意味ないから」
 今にも殴りかかりそうな英治を制し、亮祐は訪ねてみることにした。
「一ついいか?」
「あら、なにかしら?」
「こんなことをした理由は? 少なくとも俺はあんたらにこんなことされる恨みを買った覚えはないんだけど」
 そもそもこの少女の名前も知らないのだから、こんな仕打ちを受ける謂れなどないはずだが。
 だが、その少女はふんと鼻を鳴らし、胸を張った。
「そんなこと? 決まってるじゃない」
「何が決まってるんだよ」
「簡単よ。あんたが、小笠原さんのことを話してたからよ」
「はあっ!?」
 さすがに今の答えには、亮祐も開いた口が塞がらなかった。
「何だ、それ……」
 英治も同じらしく、呆気にとられた表情をしている。
「何で俺が小笠原さんのことを話したら、こんなことするっていうことになるんだ!?」
 わけがわからない。
「あんたみたいなオタクが、小笠原さんの名前を口にするだけで万死に値するのよ。小笠原さんが傷つくわ。汚らわしい」
「いくらなんでも言い過ぎだろ、それは……」
 さすがにムッと来た。理不尽だとしか言いようがない。
「言い過ぎでもなんでもないわよ。オタクはオタクらしく、二次元キャラでも溺愛してればいいわ」
 傲然と言い放ち、少女は他を促して立ち去ろうとした。
「じゃあ、最後に一つ」
 その背に亮祐は声をかけて質問を放った。
「……何よ」
「こんなことをして楽しいか?」
「は?」
「こんな人の心を踏み躙るような真似をして、楽しいか? 満足か?」
 それだけは聞いておきたかった。
 人に道に悖るようなことをして、楽しいと思うのかどうか。それ以前に、こんなことは仕出かさないはずだが。
「ええ楽しいわね。あんたを貶めるのは、ね」
 返ってきたのは肯定の意。まるで躊躇わず、淀みのない答え。
「あっそ。人としてどっかおかしいんじゃないか、あんたら四人」
 その答えにこれ以上問答するのは無意味と、諦めて亮祐は肩をすくめた。が、納得いかなかったらしい英治が、再び噛み付いた。
「ふざけんな! 何様だ、お前たちは!?」
「うっさいわね。部外者は引っ込んでなさいよ」
「何だと……!」
 英治の目つきが険しくなる。ギリッと歯を噛み締める音が漏れてきた。
 一触即発の雰囲気を察し、亮祐は英治を手で押さえた。
「やめろって、英治。ほっとけよ、もう」
「だけど、リョウ! お前は怒ってないのかよ! さっきから平然として!」
 痺れを切らしたのか、矛先がこちらに向いた。
「いや、怒ってないと言うかな」
「ん?」
「呆れ果てた、といったほうが正確だ」
「……呆れ果てた?」
 首を傾げる英治に亮祐は頷いた。
「ああ。なんかもう、怒るのもバカらしいというか。怒るだけエネルギーの無駄というか。彼女たちには怒る価値すらないって感じだ」
 亮祐は四人の少女たちに目をやった。
 三人は平然と亮祐の視線を見返してきたが、ただ一人、小笠原千尋だけは耐え切れなくなったように目を逸らした。
 亮祐はそれを目の端に留めながら、踵を返した。
「さ、英治。戻ろうぜ」
「いいのか?」
「いいさ。これ以上騒いでも、余計に晒し者になるだけだよ」
 他の生徒たちに、話題のネタを提供するだけだろう。
「じゃあねえ。これに懲りたら、二度と小笠原さんの名を口にしないことね」
 聞こえてくる脅しに、亮祐と英治は肩をすくめてそれに答えた。

〜合縁奇縁のミルフィーユ〜

4話 醜聞、公表


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