今日も田坂と一緒に帰っていく千尋の後ろ姿を見つつ、璃々は椿に胡乱な目を向けた。
「椿……。いい加減に教えてくれないかしら。何故小笠原さんと田坂先輩の中を進めようとしているのか。田坂先輩の女関係の派手さは知らないわけじゃないでしょう」
 田坂が千尋にアプローチをかけるようになり、共に帰るようになり。
 すっかり周囲は二人の仲を『恋人同士』として認識していた。
「もちろん? 田坂先輩のプレイボーイぶり、知らない子の方が少ないんじゃない」
「知ってるのなら、なぜ!」
 璃々は椿を睨み付けた。
 椿は確かに交際に関して軽いところがある。高校一年ながら、交際経験の豊富さは璃々や純子とは雲泥の差だろう。
 しかし、椿は千尋のことを大切に思っていることも間違いない。
 それが、なぜこんなことをしているのか不可解極まりなかった。
「知っているからこそ、よ」
「はあ?」
「田坂先輩の手の早さと口の軽さを理解しているから、ちっひーに勧めたのさ。二人の噂なら――いつでもどこでも耳に入るだろうからね、朱鷺之宮なら」
「椿、あなた……」
 璃々はその真意を見抜こうとするが如く、強い眼差しで椿を見つめた。
「私が出来るのはここまで。後は向こう次第でしょ」
 椿は璃々のそんな視線にも構わず、肩をすくめただけだった。
「……そういうこと。でも、それはかなり分の悪い賭けよ? コールどころかベットすらしない可能性があるわ」
「それならそこまでってことでしょ。最後まで逃げ回る奴なんか私は知らないわよ。そこまで面倒見切れない」
「随分厳しいのね? ……いいえ違うわ。逆ね」
 璃々の言葉に、椿はニヤリと笑ってみせた。
 それは、璃々の言葉に頷いたに等しい。
「高く買ってるのね、椿」
 それまで黙っていた純子が口を挟み、眼鏡をハンカチで拭いていた。
「別に? ただ私はちっひーの目を信じてるだけ。それだけ」
 さらっと言った椿。あくまで自分で言わない親友に、璃々は苦笑を禁じえなかった。
(それを『買っている』というんだけれどね……)
 だが、口には出さなかった。
 出さずとも、自分も純子も椿の言いたいことは寸分違わず理解できているから。
 親友が好きになった少年を信じていることを。

〜合縁奇縁のミルフィーユ〜
39話 賭けと届かぬ声

 田坂の半歩後ろを歩きながら、千尋は自問していた。
(何で私、こんなことしてるんだろう……)
 田坂の強引な誘いを断りきれぬまま、共に帰るようになって幾日も経つ。
 亮祐としっかり話し合うことも出来ず、椿の勧めに勢いづいた田坂の振る舞いに圧され、ただ流されるだけの毎日。
 ――本当に、自分は何をしているのだろうか。
(こんなことしてたら……長塚君に嫌われちゃう……)
 それが何よりも恐ろしい。
 別れたとはいえ、千尋は亮祐との復縁について僅かに希望を持っている。それは、亮祐の「嫌いになんてなってない!」という、力強い言葉。
 あの時は別れのことばかり心を支配していたが、少し冷静になって考えれば、あの言葉は亮祐の嘘偽りのない本心だろう。
 なら。
 別れる原因となった嫌がらせをどうにかすれば、また付き合えるという希望が残される。
 それなのに。
 別れてすぐ他の男と毎日のように帰る――それが一体何を意味してしまうのか、千尋にも嫌というほどわかっている。
 わかっているのに――田坂の誘いを断りきることができない。
(何で……?)
 幾度となくアプローチを、それも爽やかにしてくる田坂に僅かでも好意を持ってしまった――なんてことは一切ない。
 神だろうと仏だろうと、閻魔大王だろうと、それは誓って言える。
 もし亮祐が「もう一度付き合うから、今後一切田坂と口を利くな」と言われたなら、喜んでそうする。いくらでもする。
 であるのに――そこまでの想いがあるのに。
 田坂の誘いを受け入れ、帰りは必ず一緒に下校し、二日に一回はお茶していくのは何故なのか。
(わかんないよぉ……長塚君……)
 千尋は、自分の心すら、掴めなかった。

 田坂が僅かに笑いながら、話しかけてくる。
「そろそろ文化祭だ。小笠原さんのクラスは何やるの? ちなみに俺たちのクラスは屋台をやるんだ」
「そうなんですか。私たちのクラスは……ええと。何でしたっけね……?」
 思い出せない。
 確か、バザーだったか喫茶店だったか――その辺りだったとは思うが、よく覚えていない。
 亮祐と文化祭を見て回るという密かな楽しみを持っていたのだが、それが打ち砕かれた以上、関心など持てるはずもなかった。
「あ、あまり感心ないのかな」
「前はありましたよ。でも、今はないです。だって――」
 亮祐がいないのだから。
「……。そう。それはつまらないな」
 最後は口に出さなかったが、田坂は敏感に感じ取ったらしい。
 一瞬、その瞳に嫉妬と怒りの色が燃え上がったが、すぐに消えたため、千尋は気がつかなかった。
「ええ。つまらないですよ」
 亮祐と過ごせない文化祭などは欠席する。
 そう決めている千尋の目に、あるものが映し出された。
 前方を行く二人の朱鷺之宮の男子生徒。
 その一方は――長塚亮祐だった。
 忘れるはずがない。見間違えるはずがない。
 今でも恋焦がれる相手なのだから。
「長塚く……!」
 思わず数歩駈け出し、声を掛けようとして――寸前で、思いとどまった。
 田坂を同道している状態で、一体何を言おうというのか。
「…………!」
 唇を噛み締め、今すぐにでも亮祐の下へ駆け寄りたい気持ちを必死で押し殺す。
 伏せていた視線を上げ前方を見て――亮祐と目が合った。
 話し声や足音を訝しんだのだろう、振り返ったその表情は少し驚いていたようだったが、千尋と目が合った瞬間。
 ふっと逸らした。
 同行している英治に何か言われているが、そのまま歩を進めてしまう。
「――! ま、待っ――!」
 我知らず。亮祐へと差し出される腕。
 だが、その手が亮祐へ届くことはなく。
 亮祐の代わりに掴んだのは、田坂だった。
「……何してるんだ?」
「え?」
「もう、終わったんだろ、あいつとは。……諦めなよ」
「でも、だって」
「駄目だ」
 田坂は不機嫌なのを隠そうともせず、千尋の手を掴んだまま、ずんずんと歩いていってしまう。
「離してください……! 私は彼と」
 懇願するが、力で勝てるわけもなく、亮祐の歩いていった方角とは全く違う方面へ、引きずられてしまう。
「駄目だって言ったろ。あいつとはもう関わらせない。小笠原さんと付き合うのは俺だ」
「……え?」
「君は俺の女になってもらう」
 キッパリと言った田坂には迷いも照れもなかった。
「田坂先輩……?」
 抵抗も忘れ、千尋はただ田坂に腕も掴まれたまま、従うだけだった。
 田坂の瞳に宿る情欲を見抜けぬまま。


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