その生徒は、千尋が言い寄られているところに颯爽と現れた。
「ホラ、小笠原さん困ってるだろ。自分が好意を持っている女の子を困らせるなよ」
スマートに複数の生徒を立ち去らせると、ニコッと微笑んだ。
「大丈夫だった、小笠原さん」
「はい……。ありがとうございます……」
千尋が頭を下げると、手を振り、ハハと笑った。
「いいって。困っている時はお互い様……と言いたいところだけど」
「え?」
「かくいう俺も、君に好意を持っているんでね。あいつらには悪いけど、点数稼ぎに利用させてもらった」
上手いときに通りかかったよ、と男子生徒はからりと告げた。
「え、あの」
千尋が生徒の言いように戸惑っていると、ニッと笑いかけられる。
「その分だと、俺のことは記憶にないみたいだな。まあいいけど。俺は2-Eの田坂武文。一度小笠原さんに告白して玉砕してる」
「え……あ」
千尋の脳裏に、告白してきた男子生徒と、眼前に立つ生徒の顔がシンクロする。
「思い出してくれた?」
「はい。すみません、忘れちゃって……」
「いいさ。今度は覚えてくれれば。おっと、長々と話しているわけにも行かないな。今日のところはこれで」
「あ、はい」
「それじゃ。またアプローチさせてもらうよ。またね」
「はあ……」
田坂は最後まで爽やかに言い、廊下を戻っていった。
「凄い人……」
千尋は呆然と呟いた。
最初から好意を持っている、アプローチをすると公言し、であるのにしつこくすることなく、あっさりと帰っていく。これで印象に残すなというほうが無理だろう。
「田坂先輩、か……」
田坂武文が、今後の千尋の学校生活に関わってくることは明白だった。
〜合縁奇縁のミルフィーユ〜
38話 一つの可能性
それからというもの、田坂は宣言どおりに千尋の前に頻繁に出没した。
休み時間ごとに教室に現れ、二言三言言葉を交わし、さっさと帰っていく。
掃除の際も現れ、、ごみ捨てを一緒に行く。
放課後も千尋をも待っており、一緒に帰ろうと誘ってくる。断ると、「わかった、じゃあまた明日」と未練を全く感じさせることなく帰っていく。
決して強要もしつこく誘うことなく、田坂は千尋への好意を公にし、堂々とアプローチを仕掛けてきていた。
一週間も経つと、もう、田坂と千尋が一緒にいることが当たり前になっていた。
美男子と美少女の組み合わせゆえ、亮祐の時とは全く比べ物にならず、周囲は当たり前に新しきカップルを受け入れて始めていた。
当の本人を除いては。
「ね、ちっひー。田坂先輩のこと、どうすんの?」
「どうするも何も……私、田坂先輩のこと何とも思ってないし……」
椿の問いに、千尋は困惑気味に答えた。
ああまでの好意を向けられるのは、嬉しくないといえば嘘になるが、それ以上に困る。自分が好きなのは亮祐なのだし、振られたからと言ってすぐに次に進めるほど器用ではないし、自身の想いは軽くもないのだから。
亮祐とのことを諦めてもいない。
それなのに、カップルとして認識されつつあるのは納得が行かない。
「そっかー。まあそうなんだろうけどさ。でも、そこまで嫌じゃないなら、一度一緒に帰るくらいはしてみたら? で、駄目だなと思ったらキッパリ断ればいいんだし」
「え? でも……」
そんなことはしたくない、と言おうとしたが、椿はチッチと指を立てた。
「カタイこと言ってないで。気分転換だと思えばいいよ。別に付き合うとか抜きにしてさ」
「もう、椿ちゃんは……」
さらりと言う椿に、千尋は苦笑を禁じ得なかった。
デートや男子生徒と一緒に二人で帰るということを、椿は簡単に考えている。
千尋はそこまで軽くは考えられないのだが。
しかし。
「田坂先輩かあ……」
自然と呟いていた。
放課後、千尋が三人と校舎を出たところで、声が掛けられた。
「やあ、小笠原さん。今日は一緒に帰れるかな?」
「田坂先輩……」
にこやかな笑みを浮かべ、田坂がそこに立っていた。
「うん。どう? 俺と帰らないか?」
「え。いえ、私は遠慮」
「あー。いいじゃない、ちっひー。私らは遠慮するからさ。ささ、田坂先輩一緒にどうぞ」
「え、椿ちゃん?」
ギョッとして椿を見るが、璃々と純子を引きずるようにして立ち去っていくところだった。
「ちょ、椿!? 何考えて……!」
「田坂先輩の噂知らないわけじゃ――!」
「いいからいいから」
二人の文句など物ともせず、椿は千尋に「じゃーね」と手を振る余裕すら見せて、視界から消えていった。
「椿……ちゃん?」
呆気に取られた千尋に、田坂が抜け目なく近寄ってきた。
「何だか空気読んでくれる友達だね。一緒に帰るだろ?」
言い方はあくまでも優しかったが、有無をいわせぬ強い意志があり、断れそうにもなかった。
「……はい……」
千尋は小さく返事をし、静かに足を踏み出した。
「はは、そうそう。ついでにどっかに寄って話していこうか。俺は男だけど、結構カフェとかにも詳しいよ?」
「……別に必要ないですよ……」
――なんなのだろう。
一体これは何だというのか。
何故自分がいつの間にやら田坂先輩と一緒に帰ることになっているのだろうか。
千尋には理解しかねていた。
田坂の考えも、椿が二人で帰るように仕向けたことも。
強引にでも断って、それこそ走ってでも帰らない自分も。
千尋は内心で、必死に首を傾げてた。
……だが答えは全く見えず、それがしこりとなったことを、千尋は自覚した。
(長塚君……)
それでも。
そのしこりの場所には、亮祐がしっかりと根を張っていることも間違いなかった。