亮祐と千尋が別れたという話は、瞬く間に朱鷺之宮高校全体に広まった。
 その話直後は様々な憶測が飛び交ったが、『元々無理のあるカップルだった』というところに落ち着き、すぐに収束していった。
 ――亮祐と英治たちに対する嫌がらせも。
 ただし、亮祐に対する陰口に関してだけは残ることになったが。
 それさえ除けば、亮祐も千尋も付き合う以前の状態に戻ったと言える。
 少なくとも表面上は――。

〜合縁奇縁のミルフィーユ〜
37話 三面楚歌

 帰り、強引に喫茶店に連れてこられた亮祐は、英治、清、穂乃果に取り囲まれ、冷や汗を垂らした。
「え〜と。どうしたのかな、みんな……」
 愛想笑いを浮かべようとしたが、上手く行かず、引き攣った笑いにしかならなかった。
「申し開きを聞きましょうか」
 眼前に座る穂乃果がにこやかな表情で言った。
 ただし、目は全く笑っておらず、今にも亮祐を射殺しそうな目だった。
「も、申し開きって……。何を弁明しろと? 俺は別に悪いことは」
「してないってのかよ、リョウ?」
 隣に座る英治が咎める声を出す。
「してないだろ……。確かに一方的に別れたけどさ――」
「小笠原さんを泣かせたくせにそんなこと言うわけ?」
「――!? 見てたのか!?」
 ギョッとして穂乃果へ顔を向けると、ため息を吐かれた。
「?」
「ほら、やっぱり。泣かせてるんじゃない。女の子泣かせておいて『悪いことはしてない』なんてよく言えるね、長塚君」
 ――引っ掛けられた!
 亮祐は思いきり顔をしかめ、目を逸らした。
「なあ、長塚。もう一度別れた理由を訊くぞ。――嫌がらせのせいだな? それも、俺たちに対する嫌がらせが原因だろ?」
「…………」
 そうだ、とはとても言えず、清の問いに俯くしかなかった。
「長塚、お前……何考えてんの」
 清の嘆息が耳に入る。
「そんなこと気にすんなって何度も言っただろうに。それを何で無視するかなー」
「全くだぜ、リョウ。別れるとか決める前に、どうして俺らに相談しなかった」
「……相談してどうなったよ。英治たちは、俺を気遣って『気にするな』とか言ってくれたとは思うけど、そんなのは建前だろう? 嫌だったんだ、それが」
 きっと心の中では亮祐や千尋に対する苛立ちがあったはず。そんなことでこの大切な関係が崩れてほしくなかった。だからこそ、亮祐は千尋との別れを決めたのだ。
「!? 長塚君、それ本気で言って――」
 穂乃果がサッと顔を紅潮させ、身を乗り出す。
 亮祐に対して言い募ろうとしたのだろうが、清が手で止めた。
「待て、穂乃果。――なあ長塚」
「ああ」
「別れたとはいえさ。小笠原さんが何度も教室まで訊ねてきてるの、わかってるよな?」
「そりゃ……」
 主に昼休みと放課後。
 千尋がおずおずと、まるで叱られて許しを待つ幼子のような態で教室を覗き込んでいるのはもちろんわかっていた。何度となく目撃したのだから。
「お前と話したくて来てるのもわかってるよな」
「ああ……」
 だが、亮祐は千尋から逃げていた。
 何故逃げているのかはわからない。
 ただ、千尋を見ると何とも言えない感情が湧き上がりいてもたってもいられなくなってしまうのだ。
 だから逃げていた。自分が自分でなくなりそうで。
「だったらなんで話さない! 話し合おうとしないっ。お前は彼女から逃げてるだけだろ!」
「もう、俺と彼女は別れたんだ、話し合うことなんか」
「嘘つけ。別れることを決めたのはお前が一方的にだろ。小笠原さんも納得したのか? 別れることを承知したのか? はっきり言ってみろ」
「…………」
「言えないんだな? 何故言えない? ……図星だからだろ」
 その言葉で、亮祐の中の何かが、切れた。
「ああ、そうだよ! 逃げてるよ! 悪いか! 悪いのか!? 俺が小笠原さんから逃げて、何か坂もっちゃんたちに迷惑かけてるのかよ! 掛けてねえだろ! それと、彼女は別れることに承知なんてしてねえよ! だからどうしたよ!」
 亮祐の怒声に、周りの客からの視線を浴びたが、そんなことはどうでも良かった。
 とにかく、胸のうちを吐き出したかった。吐き出してすっきりしたかった。
 そうすれば、気持ちが楽になると思っていた。
 だが。
 そんなことは全くなく。
 胸にぽっかりと穴が開いたような感覚に陥っただけだった。
「――リョウ」
「あ、ああ」
 静かな英治の声にハッと我に帰り、大きく呼吸して落ち着ける。
「大声出して悪かった」
 謝罪すると、清は苦笑していた。
「いいさ。俺も言いすぎたよ」
「いや……」
 清は悪くない。
 過剰に反応した自分が悪いのだから。
 自省していると、再び英治が声を発した。
「本当にいいのか。小笠原さん、既に何人からも言い寄られてるって知ってるだろ」
「俺が口出しすることじゃない」
 別れた事実が知られるとほぼ同時に、千尋が多数の男子生徒からアプローチをかけられ出したのは知っている。
「特にご執心なのが、田坂先輩だとしてもか」
「あの田坂先輩か」
「そうだよ。あの田坂先輩」
 一度千尋に玉砕している2‐Eの田坂武文。告白するためにわざわざ当時の彼女と別れた男。
「……だとしても、別に構わないんじゃないのか。誰がどうしようと」
 別れたのだから、自分にとやかく言う資格はない――はずだ。
「確かにな。だけど、失恋直後の女の子って凄く落としやすいとか言われてるの、知ってるか。慰めてくれる男にいつの間にか心惹かれて――てやつ」
「聞いたことはあるけど……」
 傷ついているときに側にいてくれた人を好きなる――というのはよく耳にする。誰かに頼りたいときに、側にいてくれる人がいたのなら、そうなっても不思議ではない。それは理解できる。
「小笠原さんがそうなってもいいのか? 弱った所に付け込むなんてハイエナもいいところだろ。そんな奴に取られてもいいのかよ?」
「…………」
 千尋が、自分ではない誰かと、楽しそうに歩いている姿。それを見ているだけの自分。
 我知らず、拳を握り締めていた。
「言っておくけれど。今話題に出た田坂先輩って、人気あるけど結構なプレイボーイだからね。私は嫌いだよ、あの人。……そんな人と小笠原さんが付き合っちゃってもいいの?」
 それを目聡く見つけた穂乃果が、静かに発言する。
「…………」
「私たちは言いたいことは言ったつもり。……後は長塚君が決めることだよ。でもね、希望を言わせてもらうならば」
「……もらうなら?」
「長塚君と小笠原さんが笑い合ってる姿を見たい」
 穂乃果はそう言って微笑んだ。
「それは……難しいなあ」
 つられて亮祐も小さく笑う。
 ――千尋と再び笑い合える日。
 そんな日がいつか来るのだろうか。
 

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