箒片手に、千尋は鼻歌交じりに廊下を歩いていた。
「フンフンフン〜♪」
 最近、亮祐との付き合いも順調だ。
 もちろん正式に付き合って入るわけではないけれど、亮祐もよく笑ってくれるし、会話も弾むし、何より――優しい。
 それは、凄く心を浮き立たせることだった。
「お弁当も全部食べてくれたし、美味しいって言ってもくれたし……えへへ」
 このまま行けば、問題なく彼氏になってくれるかもー? なんて、一人にやけてしまう。
 声が聞こえてきたのは、廊下を曲がったときだった。
「……たく、何であんな奴に小笠原が取られるんだよ。何かの冗談だろ」
「全くだぜ。長塚なんて、オタクのクズじゃねえか」
 ピタリ、と足が止まった。
 思わず壁に身を寄せ、聞き耳を立ててしまう。
「……で? また誰かやったの?」
「ああ。上履き隠したり、下駄箱にゴミ突っ込んだり」
「おいおい。小学生かよ。もっとこう、クルものやれよ」
「大袈裟にやると、さすがにまずくね?」
「それはそうだな。セン公とかにチクられたらメンドーだ」
(…………!)
 千尋は息をするのも忘れ、じっと会話を聞いていた。
 どうやら、話しているのは二人の男子生徒らしいが……。
「つーかさ、そんなにやる必要なくね? どうせすぐ別れんじゃーの? いくらなんでも釣り合い取れてねーじゃん」
「そうだけどよ、ムカつくじゃん。何であんな野郎に小笠原が取られるわけ? 腹立つだろ」
「まあな。正直、潰したくなる」
「あはは! つーか、誰か闇討ちとかするんじゃね。長塚が入院とかしたらウケるな」
「そりゃいい!」
 その言葉に、千尋の身体に震えが走る。
『あはははは!』と笑い声を響かせ、声が遠のいていった。場所を移動したらしい。
 千尋は震える足を叱咤しながら歩き出した。
「そんな……。長塚君が、そんなことに……!」
 声まで震える。
 確かに、亮祐が「狙われる」と言っていたが、それは冗談だと思っていた。いくらなんでも、そんなことをする生徒はいないと。
 ――だが。
 実際に、いた。
 いたのだ。
 亮祐に嫌がらせをする者たちが。
「長塚君――!」
 心配になった。
 こうしている間にも亮祐に何かあるのではないかと。
 気が付いたときには。
 千尋は亮祐のいるはずの教室へと走っていた。

〜合縁奇縁のミルフィーユ〜
31話 躊躇いあう心

 ガラッ! と勢いよく開け放たれた扉から姿を見せた千尋に、亮祐は目を丸くした。
「小笠原さん? どうした? そんなに息切らしてさ」
「長塚君……。良かった、何ともないみたいだね……」
「は?」
 いきなり現れたと思ったら、何を言い出すのか。
「ううん、何でもないならいいの。あ、それでね……。一緒に帰ろ?」
「? 何でもないならいいけど。一緒に帰るのもいいけど、その箒、片してからにして」
「え? ――あ! 待ってて、すぐに片してくるから!」
 自分が箒を手にしていることに今気が付いたらしい。千尋は慌てて教室から出ていった。
「なんだかなあ」
 そんなにも自分と帰りたかったのだろうか。箒を持っていることを忘れるくらいに。
 そうだとするなら、そんな千尋も可愛いと思わず苦笑。
 ……これも十分に惚気だろうか。
 まだ正式に付き合っているわけでもないのに。
 千尋のことは言えないな、と自身に苦笑しつつ、鞄を手に取った。

 共に下校してすぐ。
 亮祐は、千尋の様子がおかしいことに気がついた。
 表面上は楽しげに歩いているのだが、すぐに沈鬱な表情で俯いたり、チラチラとこちらを見てくる。
 そのくせ、目が合うと慌てて逸らしてしまう。
 一体、どうしたのだろうか。
「なあ、小笠原さん、何かあったの」
「え? 何もないよ? どうしたの、いきなり」
「いきなりじゃないと思うけど」
 千尋は否定したが、亮祐は怪訝に思った。
 D組に来た時も何か慌てていたし、何かを心配しているかのような言動を取っていた。
 今だってこちらを窺うような態度を取っているのだから、疑うなというほうに無理がある。
「そ、そう? でも何もないよ……?」
「小笠原さん。そんな態度取られても説得力ないんだけど」
「…………」
 千尋はしばらく無言だったが、そろそろと亮祐を見上げて不安そうに眉根を寄せた。
「ねえ、長塚君。何か……私に隠していること、ない?」
「へ?」
「私とね、こうやってお試しとはいえお付き合いしていることで、何か迷惑とかかけてないかなって」
「いや、何も……」
 亮祐はすぐさま否定した。
 もちろん嘘だが、それを言うわけにはいかない。
「そう。……うん、ならいいんだ。ごめんね、変なこと訊いて」
 千尋は一瞬だけ悲しそうな顔をしたが、すぐに笑顔になると、亮祐の前に回りこんできた。
「? どうした?」
「お茶して帰ろ? 美味しいケーキを出してくれるお店、椿ちゃんに教えてもらったから。ね?」
「うん、いいよ、寄ってこうか」
 亮祐も頷きながら、話題が逸れたことに内心ほっとしていた。
 だが、いつまで誤魔化しきれるか……。
 千尋だって馬鹿ではない。この嫌がらせが続けば、自然に耳に入るに違いない。
 それまでにこの騒動が収束してくれれば一番いいのだが、難しいかもしれない。
 なんとしても。このことは千尋に知られてはいけない。
 そう決心していた。
 ――しかし。
 この決心が、自らを追い込むことになるなど、この時の亮祐は全く気が付いていなかった。


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