椿は箒を片手に窓から校庭を見下ろした。
「椿。何してるのよ。ちゃんと掃除を――」
 苦言を呈した純子を手で制し、逆に手招きをして眼下を示す。
「何? ……ああ」
 隣に立った純子も眼下――校庭の端を歩いていく亮祐と千尋を認めて、納得したように頷いた。
「仲いいね、本当に」
「そうね。ああしてると、普通のカップルよね」
「全く」
 椿が肩をすくめると、純子も苦笑を漏らした。
「ふふ。千尋ちゃん、上手く行くといいわね。まあ、余程のことがない限り、このままくっつくと思うけど――」
「……だといいけどね」
「――え?」
 椿の返答に純子が動きを止め、頭に『?』マークを浮かべた。
「このままスムーズに行けばいいんだけどね。難しいだろうなあってさ」
「……なぜ? 確かに奇妙な取り合わせだけど、本人たちがいいって言うなら――」
 疑問を投げかける純子に、椿は手を振って制した。
「私だってそう思うよ。だけどさ。取り合わせが取り合わせだもん。学校一の美少女と、筋金入りのオタク。これ、周りが知ったらどういう態度に出ると思う?」
「どういう態度って……。間違いなく反対するでしょうね。千尋ちゃんや長塚のこと知らないんだから、余計に」
「反対するだけなら可愛いもんよ」
 椿の言い方に、純子は眉をひそめた。
「他にもあるような言い方ね?」
「純子さあ。長塚がちっひーのこと言ってると知って、私たちが何をしたか忘れたわけじゃないでしょ?」
「当たり前じゃない。忘れるわけないでしょ」
 思いっきり純子は眉をしかめた。馬鹿にされたと思ったのかもしれないが。
 そりゃそーか、と椿は苦笑した。
「うん。でさ、長塚がちっひーのことを可愛いとか言ってるってだけであれだけのことをしたわけじゃん、私ら。まあ、『ちっひー命』の璃々が暴走したせいもあるけど……。それがよ? あの二人が付き合ってるって知ったら――どうなると思う?」
「……まさか、椿」
 純子にも椿が何を言いたいのかわかったらしい。眼鏡の奥の目を見開いている。
「そう。長塚に対する攻撃が始まるんじゃないかって思うんだ」
「でも、そうだとするなら、もっと早く始まってるでしょう? お弁当を一緒に食べてるって知られてから何日も経つわ」
 純子の疑問も尤も。
 しかし、椿はあっさりと答えた。
「多分――様子見。二人が本当に付き合ってるのかどうかの。『ラブレター事件』のお詫びなんじゃないかって窺ってたんだと思う。それが数日経って、ちっひーの気持ちが本気だとわかった。当然悔しい。その怒りは当事者である長塚へと矛先が向けられる――」
「妬みやっかみ僻みってわけね。オタクの長塚が千尋ちゃんを射止めたんだから、わからなくはない、けど」
「うん。だから、そろそろなんじゃないかって思う。長塚への攻撃が始まるの。それが心配なんだ」
 椿はもう一度眼下へ視線を向けたが、当然、もう二人の姿はどこにもなかった。
「そう……。千尋ちゃんの人気を考えると杞憂だ、なんて言えないわね。明日にでも伝えましょう。そのほうがいい」
「そうだね。璃々のこともあるし。璃々はもう長塚には何もしないと思うけどさ」
 ちょっと距離が開いてしまっている親友のことを思い、椿は嘆息した。
「もう。長塚もちっひーも上手くいってほしいし、璃々とも元通りになりたいんだけどな」
 椿はしみじみ呟いた。

〜合縁奇縁のミルフィーユ〜
29話 忍び寄る悪意

 登校してきた亮祐が靴を履き替えようと下駄箱を開けると、上履きがなかった。
「……仕方ないな」
 一瞬忘れたのかと思ったが、月曜日でもないのに忘れるなんてことはない。
 職員室で教師に言ってスリッパを借りた。
「昨日はちゃんとあったよなあ」
 首を傾げつつ教室に入ると――自分の机が引っくり返されていた。
「おい……」
 何なんだ? と思ったが、わかるわけもないので元に戻す。
「なあ、誰だ、これやったの?」
 周囲のクラスメイトに訊ねるが「さあ?」と曖昧な返事ばかり。
「何なんだよ……」
 英治たちが登校してきたら相談するべきだろう。
 千尋とのこともあるし、早めに動いたほうがいい――これは確信に似た勘だった。

 休み時間を使って英治たちに相談すると、一様に眉をひそめた。
「それって……。嫌がらせ以外の何物でもねえじゃん」
「やっぱり?」
 英治の台詞に亮祐は頭を抱えた。
 ある程度は予想していたとはいえ、親友から言われるとそれはそれでショックだ。
「うわ、もしかしてと思ってたけど、ついに始まったってこと?」
「可能性ありすぎよね。どうする、長塚君」
「どうするって言われてもなあ。ほっとくしかないんじゃないかと」
 穂乃果の問いに自信ないままに答える。
 下手にリアクションを起こせば、嫌がらせがエスカレートするような気がする。
「ほっといても、それはそれで過激化するような気もするけど……」
「じゃあ、どうしろと」
 どうすればいいのだ。
「とにかくさ、注意してるしかないんじゃないか。俺たちも気をつけておくからさ。何かあったらすぐに言ってくれ。出来ることならするし」
「――それしかないか。頼んだ、坂もっちゃん」
「うん」
 千尋とのことが学校中に知られ、数日。
 ある程度は覚悟していたつもりだったが、それが現実の物として見せつけられると、さすがにクルものがある。
「ねえ長塚君、小笠原さんには言うの、このこと?」
「……いや。言ったら小笠原さん、すげえ気に病みそうだから。黙っておくよ」
「そっか。確かにそれがいいかもね。でも、いずれわかっちゃうと思うから、そこのところは気をつけないとダメだよ?」
「ああ、わかった。ありがと」
 穂乃果の気遣いに礼を言う。
「でもまあ。これを乗り切っちゃえば、誰も文句は言わなくなるだろ。頑張りどころだな」
「……そうだな」
 英治の言葉に頷き、天井を見上げる。
 これからどんな悪意が向けられるのか。
 正直怖くて仕方ないが、だからと言って早々に尻尾を巻いて逃げるのは男の沽券に関わる。
(やってみるしかない、よな)
 亮祐はぐっと拳を握り締めた。


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