亮祐が千尋に追いついたのは、店からかなり離れたところだった。
「おい、こら。一体、どこまで行くつもりだ」
「だ、だって、あそこにあった本にびっくりしちゃって……」
歩道の隅っこで項垂れていた千尋は、恨めしそうに亮祐を見上げてきた。
「長塚君、知ってたでしょ。あの地下フロアがエッチな本を売ってるって」
「もちろん。一、二度行ったことあるしねー」
ポイントカードを作った後だったので、残念ながら買ったことはないが。
「だったら教えてよ。もう、店員さんとか他のお客さんとかが凄く驚いてたんだからっ」
「教える前にとっとと行っちゃうからでしょうが」
それに、千尋のような『超』美少女がアダルト漫画売り場に来たら、誰だって驚くだろう。
「うう〜。もうヤダ、お嫁に行けない」
頭を抱えて唸る千尋に、亮祐はカラカラと笑った。
「大丈夫、大丈夫。心配することないって。誰も覚えちゃいないよ」
「そういう問題じゃないの!」
「じゃあ、どういう問題だよ?」
「年頃の女の子の心に深ぁい、マリアナ海溝よりも深ああああああい傷を負わせた償いをして」
「なんじゃそりゃ!?」
亮祐は呆気に取られ、あんぐりと口を開けた。
いきなり何を言い出すかと思えば。
『償いをして』と来たもんだ。
「取り敢えずね、私とお付き合いを」
「断固として断る!」
最後まで言わせず、手を振り払う仕草をしてみせる。
「何でよ! お詫びに彼氏になってくれたっていいじゃない!?」
千尋も表情を険しく――というには迫力がないが――し、亮祐に詰め寄る。
「意味わかんね。そもそも勝手に動いて自爆したのは小笠原さんだろうが!」
「それをフォローするのが男の子の甲斐性ってものでしょ!?」
「何が『甲斐性』だ。使い方間違ってんぞ!」
「いいの! 私がいいと思ってるんだから、いいの!」
「よくねえー!」
不毛な遣り取りはしばらく続いた……。
〜合縁奇縁のミルフィーユ〜
18話 一時休戦
舌戦の後。
さすがに周囲の晒し者になりかけたので一時休戦し、そそくさとその場を離れる。
「全く。頑固だな小笠原さんは……」
メインストリートである中央通りから脇に逸れた路上で、亮祐は呆れたため息をついた。
「誰が頑固よ。長塚君のほうが頑固でしょ。私の頼みをけんもほろろで断るんだから、頑固な上に冷淡よね」
うんうんと頷いて勝手に性格を判じる千尋に対し、亮祐はこめかみに指を当てて半眼になった。
「そういう俺に君は告白したんだが、わかってるか?」
「うん、もちろん。長塚君が少しくらい冷淡でも私は耐えるから。女はいつも耐える生き物――」
よよよ、と泣き崩れる振り。
「人を勝手に冷酷に仕立てんな! それに、何悲劇のヒロイン演じてる!?」
「演じてなんかいないよ? こんなにも好きな人に尽くしているのに報われないんだもん。十二分に悲劇のヒロインでしょ?」
「…………」
ニコッと意味ありげに笑う美少女に、亮祐は無言でデコピンを喰らわせた。
「痛っ」
「何が『報われない』だ。次はど突くぞ」
亮祐は今更ながらに、この小笠原千尋という少女に対する自意識を変える必要性を感じた。最初は恋に前向きでもあり臆病でもある、(美少女であることを覗けば)どこにでもいるごく普通の女の子だと思っていた。
しかし、こうして付き合ってみるとかなりノリがよく、へこたれない強さをもった女の子であることを知った。
「うう、長塚君が冷たい。やっぱり私の恋は耐え忍ぶ恋なのね……」
再びよよよ。
「だあっ。いい加減にやめんかい。いつまで続ける気だよ!?」
このままでは堂々巡りだ。また晒し者になりかねない。
「え〜? 長塚君が私の彼氏になってくれるまで?」
「……何で疑問形だ」
それに以前に、こんな状況で彼氏になってたまるかと心の中で呟く。
「なってくれたら嬉しいなって思ってるから」
「なってやらん」
即答。
途端、千尋は口を尖らせた。
「もー。少しくらい、私の頑張りを評価して歩み寄ってくれてもいいのに」
「結構してるつもりなんだけどなあ」
「全然してないからっ」
「いーっ」としてみせる千尋。亮祐は「ハイハイ」と笑いながら腕時計を見た。
店をいくつか回り、馬鹿をやったりしているうちに結構時間が経過している。腹の空き具合も丁度いいだろう。
「小笠原さん、そろそろ腹減らないか?」
「お腹? う〜ん、そうだね、そろそろお昼食べたいかな?」
「おっけ。じゃあ昼にしよう。何か希望ある?」
秋葉原は最近の開発で、食べるところがグンと増えた。
定食屋もあるしファミレスもある、ファーストフードもカフェもある。
すると、何故か千尋が不思議そうな顔をして、亮祐を見上げてきた。
「……何だよ?」
「え、あ、うん。てっきりメイド喫茶とかにでも行くのかと思って……」
そんなことをのたまう千尋に、亮祐は口をへの字に曲げた。
「そんなベタなことやるかっ。大体、この時間帯はどこの店も混んでて入れないよ。おまけに日曜だしな」
有名な店とかは行列が出来るほどなのだから。
「そうなの? ちょっと残念。テレビとか雑誌で見て、一度行ってみたいなと思ってたから」
言葉通り、表情に軽い落胆が見てとれる。亮祐は小さく笑い、頷いた。
「大丈夫。日曜でも昼とかの時間を除けば入れるさ。それに今日が駄目でもまた連れてきてやるから」
そう言うと、千尋の顔がパッと輝いた。
「ホント? やった、約束だよ?」
「ああ、いいよ」
今の遣り取りに若干違和感を覚えたが、これで千尋が喜んでくれるならお安いご用だ。そう考え快諾すると、千尋は足取りも軽く歩き出した。
「えへへ♪ じゃあお楽しみはまた今度に。お昼はそうだなー。カフェとかでもいいけど……ゆっくり食べたいから、そう言うところがあれば嬉しいかな。定食とかもいいかも」
「定食で、ちょっとゆっくり出来そうなところね……。ああ、一つある。そこ行くか」
「うん、長塚君に任せるよ」
「頑張ってご期待に添いましょう」
亮祐は冗談ぽく笑って、とある定食を出す店に千尋を案内することにした。
ホンのちょっぴり、意地悪い気分を持ちながら。