読み終えた小説を適当に放り出し、亮祐は椅子の背もたれに体重を預けて天井を見上げた。
「何だかとんでもないことになっちゃったな……」
 先日の『ラブレター事件』に始まって、いきなりの告白。それも、校内随一の美少女と噂されるあの小笠原千尋からだ。
 人生の中で、告白なんてされたことのない亮祐からすれば、高嶺の花どころの次元ではない存在の千尋からの告白。それは、人生の幸運を全て使ったところで果たせない奇跡みたいなもの。
 しかし、これが悪戯でも何でもなく、真なる想いからのものだということを思い知らされた。
「これが周りに知られたら、学校中の野郎から狙われるよな、絶対」
 むしろ、学校中の男子女子関係なく狙われてもおかしくはない。
 小笠原千尋とは、それくらいに人気のある少女なのだから。
「でも。あの子は一体、俺のどこに惚れたんだろうねー」
 自虐でも何でもなく、あの子が自分に惚れる要素どこにも見当たらない。
「まさか、本屋のことで惚れられた、なんてことはないだろうけどさー」
 一目惚れされるようなことはしていないし、そもそも、あんなことで惚れた惚れられたなんてやっていたら、一体何回することになるのかわかったもんじゃない。
「明日から一ヶ月、か」
 言うなれば、これは自分と小笠原千尋との勝負だ。愛想を尽かすか、耐えるか、好きになるか。
 勝てばそれまで。負ければ――付き合う。
「傍から見れば、勝負すること自体がおかしいよな。男だったら、絶対に付き合いたい相手だろうし」
「どうなるんだろうね、これから……」
 何とはなしに呟く。
 わかっていることは唯一つ。これからの学園生活は気苦労が増えて、大変な思いをするということだけだった。

〜合縁奇縁のミルフィーユ〜
 11話 お弁当大作戦!?

 翌日の昼休み。
 チャイムが鳴ると同時に、ある者は学食へ行き、ある者は購買へパンを買いに行き、そしてまたある者は持参した弁当を広げる。
 一日のうち、最も大切といっても過言ではない昼食の時間。ざわめきが学校中で響く中、亮祐は受信したメールの文面を確認して、小さくため息をついた。
「なあ、リョウ。メシ食おうぜー」
 声を掛けてきたのはもちろん英治。
「俺らも一緒していいかー?」
「一緒に食べようよ」
 さらに声を掛けてきたのは、オタクである亮祐や英治に対しても全く普通に接してくれる数少ないクラスメイト、坂本清とその彼女である阿部穂乃果だった。
「あー、悪い。俺、ちょっと先約があるんだよ。だから、また今度な」
 拝むようにして断りの言葉を述べると、早足で教室を出る。
「え? あ、おい、リョウ!?」
 英治のびっくりした声を背に、亮祐は階段へと足を向けた。

 亮祐が向かったのは校舎と校舎の間に作られている裏庭だった。
 昨夜に送られてきた一通のメール。送信者は小笠原千尋。内容は――
『明日は私がお弁当を作っていくから、用意しなくていいよ。学食に行ったりしないで、お昼になったら裏庭に来てね。 ちひろ』
 こんな内容のメールを送られて、無視するわけにも行くまい。いくらなんでも、それを無下にするほど腐っちゃいない。
 それに、何よりも。
「女の子の手作り弁当……」
 超が三つくらいつく美少女のお手製弁当。これを見逃す手はない。
「それにしても、裏庭って、いいところに目を付けたもんだ」
 朱鷺之宮高校の校舎は鉤型――L字を引っくり返したような形をしているのだが繋がっているわけではなく、直角の部分で分かれていて、それぞれ非常階段で出入りができるようになっている。
 その空いた場所に作られたのが裏庭であり、中庭と比べても遜色ない広さを持ち、ベンチも設置されていたり切り揃えられた芝生も生えていたりで、以前は憩いの場として人も結構来ていたのだが、元々教室関係からは離れている上に階段から転んで落ち、骨折した生徒が出てからは非常階段の使用が禁止され、それが原因で人が殆んど来なくなってしまった。今では人がいるほうが珍しくらいである。
 それゆえに、人に見つからずに昼食を摂るには絶好の場所だろう。
「あ、長塚君、こっちこっち」
 裏庭に到着すると、芝生に敷かれたレジャーシートの上で嬉しげに手を振る千尋の姿があった。
「少し遅れた?」
「ううん、大丈夫。こっちも用意出来たところだから」
 亮祐は手招きする千尋に応じ、靴をちゃんと脱いでシートに座る。
「レジャーシートまで……。持ってくるの大変だったんじゃ?」
「そんなことないよー。中くらいのトートに全部入っちゃうから」
 なんてことない、というふうに千尋は柔らかく微笑みつつ、取り出した弁当箱の蓋も外して亮祐に差し出してきた。
「はい。長塚君の好きな物とかわからなかったから、オーソドックスなものでまとめてみたんだけど」
「十分だ。てか、これ全部小笠原さんが作ったの?」
 弁当箱の中身を確認しながら訊ねる。
 半分はご飯、おかずはエビフライ、玉子焼き、一口ハンバーグにプチトマトが二つ。お弁当の定番メニューがきっちりと詰められている。
「うん、そうだよ……って言いたいところなんだけど」
 千尋はペロ、と可愛らしい舌を出してはにかむ。
「少しだけママに手伝ってもらったんだ。いきなり二つ作るのはさすがに手間取っちゃて……。ママには『最初はサンドイッチとかにしておきなさい』なんて言われたんだけど、やっぱり手作りのお弁当っていうのがいいよね」
「へえ……」
「あ、でもでも! すぐに全部自分で作れるようになるからね!? 手伝ってもらったのだって玉子焼きだけだし! それ以外は私が作ったんだし、味だってちゃんと味見したから美味しいはず!」
 慌てて力説する千尋に、亮祐は思わず苦笑しながら箸を伸ばした。
「力説するくらいの美味しいお弁当、早速いただきましょうか」
「う、うん。食べてみて……」
 取り敢えずハンバーグを口に運ぶ。モグモグと咀嚼し、ゴクンと飲み込む。
「ど、どう……?」
 まるで親の敵でも見るかのような目で睨んでいた千尋が、恐る恐るといった感じで訊ねてくる。
「正直に言ってな」
「う、うんっ」
「ショックだ」
 その言葉に、ガーン、と擬音が聞こえてきそうなほどに表情を引き攣らせた千尋がいた。
「そ、そんな……ショックを受けるほど美味しくなかった……?」
 差し出すつもりだったのか、お茶が入った水筒のコップがプルプルと震え、じわっと美しい瞳に透明な宝石が浮かび始める。
「いや待て! 言い方が悪かった! 落ち着いて。俺が言いたかったのは、別の意味での『ショック』だから!」
 亮祐は急いで取り成しの言葉を並べた。ここで落ち込まれたら堪らない。
「じゃあ、どういう意味なの……?」
 む〜と上目遣いの千尋に、亮祐はポリポリと頬を掻いた。
「だってさあ、小笠原さんみたいに可愛い子がさ、料理も上手いなんてどんな冗談よ。こういう場合、全く出来ないってのがデフォじゃん」
「どんな常識、それ!?」
「いや、ギャルゲだとだな……」
「私は現実だあー!」
 説明を遮り、千尋が「うがーっ」と叫ぶ。
「わかってる、わかってるって。ちょっとからかっただけ。それにしても、思った以上の反応だなー」
「長塚君の意地悪……」
 ケタケタ笑うと、拗ねたように千尋は頬を膨らませた。
 それがまた可愛らしくて、内心苦笑してしまう。
「悪い悪い。ちゃんと弁当は堪能させてもらうからさ」
「うん、ちゃんと食べてね」
 受け取った茶を飲んでから箸をつける。
 千尋も自分の弁当を食べ始めた。
「うん、美味い。エビフライもちゃんと揚っててイケるよ」
「あは。よかった。やっぱり少しは不安だったから」
 亮祐に褒められ、そこで千尋は初めて嬉しそうに微笑んだ。
「よく料理はすんの?」
「一応、ね。ママが『女の子の手料理が美味しいというのはすっごく強い武器になるから!』って。パパのこともそうして落としたって自慢してた」
 千尋の説明に、亮祐は目を閉じた。
「なかなかアグレッシブなお母さんだね……」
「私もそう思う」
 そうして顔を見合わせて――笑った。
 和やかに。

 空になった弁当箱を手際よく片付ける千尋を眺め、亮祐は前からの疑問を口にした。
「なあ、ちょっといい?」
「んー? なあに?」
「訊きたいんだけど。俺のどこに惚れたわけ? まさかさ、あの本屋のことで、じゃないよな?」
 いくらなんでも、と思ったが、千尋の答えは意外なものだった。
「うーんとね。そうだよ」
 躊躇いなくそう言い、ニコッと笑う。
「え?」
 亮祐は予想外の答えに、目を丸くした。
「あれで長塚君のことを意識するようになったんだから」
「たったあれだけのことで?」
「あれだけって酷い。私にとっては凄いことだったんだよ」
 亮祐の感想が気にいらなったのか、千尋はつまらなさそうな表情で口を尖らせた。
「だってさあ、あんなことでだぞ」
 怪訝な表情をしつつ確認する。あんれしきのことで人に惚れるほど、千尋は惚れっぽいのだろうか。
「正確にはそれだけじゃないけど」
「あ、なんだ。ちゃんと他にもあったんだ」
 いささか安心する。
 他にもちゃんと理由があったらしい。
「でもそれは秘密。教えてあげない」
 人差し指を口の前に持ってきて、『内緒』のポーズを取る千尋。
「なにぃ!? 教えてくれ! 気になるだろ!?」
「やーだよ♪ これは私だけの秘密」
「俺にも関係あるじゃん!」
「女の子には秘密が多いものなんだよ。だからダーメ」
「うわ。すっげぇ気になる……」
「今、私の彼氏になってくれたら教えてあげる」
 悪戯っぽく笑って、片目を瞑ってみせる千尋。
「そうくるか!? 卑怯っていわないか、それ!?」
「好きな人をゲットするためなら、少しくらいはね」
 悪びれる素振りもなく、意味ありげに笑う。
 そして結局。
 亮祐がいくら頼んでも拝み倒しても、千尋が理由を教えてくれることはなかった。


BACKINDEXNEXT
創作小説の間に戻る
TOPに戻る