「ふむふむ……。そっか、こういうのが喜ばれるんだ……」
 千尋はバレンタインが特集された雑誌を広げつつ、うんと頷いた。
「ちょっと恥ずかしいけど……亮祐君が喜んでくれるならっ」
 決意を込めて叫び、チョコレートがいくつも詰め込まれた袋を手に立ち上がる。
「よーし、頑張るぞー!」
 意気揚々と部屋を出て、決戦の地、台所へと向かう。
 ――後に残された雑誌には。
【アニメ好き男子が語る! 理想のバレンタイン!】
 でかでかと印字された文字が躍っていた。

〜合縁奇縁のミルフィーユ〜
 Valentaine Is Pritty Heart!

 放課後、亮祐は何故か屋上に呼び出されていた。
「なぜ屋上……?」
 今日は2月14日。つまりヴァレンタインということで、呼び出される理由はもちろん承知している。
 だが、それでなぜ屋上なのか。
 別にいつも会っている裏庭でいいのではないかという疑問が当然浮かぶが、千尋はその理由を教えてはくれなかった。
 そして、もう一つ。
 今、亮祐は屋上の出入口を背に立っている。
 千尋から「いいと言うまで振り向いちゃ駄目だよ」と申し付けられているから。
 何でそんなことをしなくてはいけないのかはわからないが、別段反対する理由もないので、素直に従っているわけだが。
 その千尋は、先ほど亮祐に上記のこをと言いつけた後、扉の向こうで何やらやっている――らしい。
(一体、何をしてるんだ……?)
 分厚い鉄扉越しのため、背を向けているので声などは全く聞こえず、雰囲気的に何かをしている――らしいというのがかろうじてわかるくらい。
 幾度となく振り向きたい欲求に駆られるが、そんなことをしたら千尋の雷が確実に落ちる上に、本日最大の楽しみの【千尋のチョコレート】が貰えない可能性も多分にあるので、とてもではないが、そんなことは出来ない。
 そうこうしている内に、扉の開く重い音と共に声が掛かる。
「お待たせ。――いいよ、振り向いて」
「ようやくか。一体何をしてたのさ――!?」
 やれやれと振り向き――硬直した。
 千尋の格好が、制服姿ではなかったから。
 全くかけ離れた姿に変わっていたから。
「な、何なんだ、その格好……」
「え、えへへ……」
 ようやく疑問のこえだけ上げると、千尋も照れたようにはにかんだ。
 千尋の格好――それは。
 黒のワンピースと純白のエプロンを組み合わせたエプロンドレスに、ホワイトプリム。
 黒のオーバーニーソックスと黒の可愛らしい革靴。
 つまり――どこからどう見ても、メイドに扮した千尋の姿だった。

「な、何やってんの……?」
 たっぷり一分以上経ってからようやく再起動した亮祐は、それだけ言うので精一杯だった。
 対して千尋は。
「何って……。ええと、コスプレ? 王道とも言える、メイドさん……かな?」
 可愛らしく首を傾げる姿は鼻血ものだったが、惜しいかな、今の亮祐にはそれを楽しむ心の余裕はなさ過ぎた。
 理由はもちろん、メイド姿の千尋が可愛すぎるから。
 矛盾しているわけだが、可愛すぎてそれを目で楽しむということができないほど、亮祐は千尋に釘付けとなっていたのである。
「メイドのコスプレってのは見りゃわかる。わかるけど……何でやったの? しかも学校で!? ハイレベル過ぎやしません!?」
 誰かに見られたらどうする気なのだろうか。
「ん〜とね。亮祐君が好きそうだから、こういうの。だからね、やってみた。それが理由の一つかな」
「確かに好きか嫌いかと言われたら、間違いなく大好きですが! だからって、何も学校で」
「冒険してみただけだよ。大好きな彼氏のためだもん。ちょっとくらい……ね?」
 そう言って微笑む千尋は、思わず抱き締めたくなるくらいに可愛らしい。
 それをすんでのところで押し込め、再度千尋に問いかける。
「自分で考えたわけじゃないだろ。誰の入れ知恵よ? ……英治は……違うな。本田さんか?」
 こんなことを言い出しそうなのは、英治以外だと椿くらいしか思い浮かばない。
 だが、亮祐の答えに千尋は首を横に振った。
「違うよ? これは全部自分で決めたことなんだ。ちゃんとね、自分で調べたんだよ? 亮祐君が好きなバレンタインのシチュエーション」
「……はい?」
 千尋がエッヘン、とばかりに胸を張るのを見、亮祐はぽかんとなった。
「自分で調べたの。アニメが好きな人たちって、こういう感じで女の子からチョコ貰うのが嬉しいんでしょ?」
「……へ?」
「えーとね?」
 千尋は「ふー」と深呼吸すると、ニッコリ笑って手にしていた箱を差し出してきた。
「今日はバレンタインです、ご主人様。私の想いをたっぷりと込めたチョコレ−ト。どうか受け取ってくださいませ」
「――――!」
「愛してます、ご主人様」
「あ、ああ。ありがとう……」
 半ば唖然としつつもしっかりとチョコは受け取る。可愛らしいハート型の箱を。
「それとお聞かせください、ご主人様。ご主人様の私に対するお気持ちを。是非知りたいです」
 真摯な想いと期待の籠もった目――と言えば聞こえはいいが。
 その身から出るオーラは『わかってるよね? なんて言えばいいか、わかってるよね?』と、これ以上ないくらいに物語っていた。
 オーラにやや気圧されながら、亮祐は素直な気持ちを口にした。
「もちろん――千尋のことは大好きだ。これからも、ずっと」
「――! うん!」
 途端、にへらっと蕩けそうな表情になる千尋。
 が、さらに亮祐は。
「それともう一つ」
「?」
「自分で調べたっつー情報、どこから得た! どこの誰だ、そんなガセネタ吹き込んだのは!?」
「ええ!? ガセネタって嘘ってことだよね? ……ちゃ、ちゃんと調べたんだよ!?」
 嘘呼ばわりされた狼狽したらしく、千尋は慌てたように説明してきた。
「ソースは?」
 半眼になって訊ねると、千尋は鉄扉の向こうに一度消え、すぐに戻ってきた。手に一冊の雑誌を抱えて。
「これ、これだよ! 亮祐君だってこれを読んでるって言ってたじゃない!」
 ずいっと差し出されたのは、とあるアニメ雑誌のバレンタイン特集ページ。
 そして、そこに書いてある文言をザッと読み、亮祐は頭を抱えたくなった。
「確かにこれは毎月買ってるけどさぁ……。どう見ても、こんなのネタじゃん」
 そこには、亮祐や英治のようなアニメ大好き人間――すなわちオタク男子が喜ぶ、バレンタインのシチュエーションという触れ込みで書かれた記事。
 千尋が指し示す記事には【やっぱり彼女がメイドの格好で『ご主人様、私の愛を受け取ってください』と言われたいよね】とあった。
「ネタって……。だって、ちゃんとインタビューして、その統計で一位のシュチュエーションなんだよ、メイドさん。だから頑張ってメイド服買って、わざわざ学校で着替えたのに……」
「……記事の最後。よく読んでみ」
「最後?」
 怪訝そうにしながら、千尋は素直に記事を読み始め――目が点になり――固まった。
「最後に小さく書いてあるだろ? 【編集部・注】って」
「【あくまでもこれは編集記者の独断と偏見による妄想記事です。くれぐれも読者の皆様は本気にしないように】……」
「その雑誌はさ、毎年そう言ったネタ記事書くんだよ、この時期になると。俺らはそれ読んで馬鹿笑いするってのが定番なんだけど。まさか千尋が本気にするなんて」
 亮祐が淡々と言う側から、千尋の身体がプルプル震え始める。
「まあ、俺はいい目の保養が出来たということで大変に満足――」
 出来ました、と言言いかけた刹那。
「いやああああああああああああああああああああああああ!!!」
 千尋の悲しき悲鳴が響き渡った。

 手を繋ぎながら、亮祐は必死に千尋を慰めていた。
 学校からの帰り道、千尋はずっとどよーんとした雰囲気なのである。余程ネタ記事に踊らされたのがショックだったらしい。
「ま、まあ、俺は千尋のレアな姿見れて嬉しかったよ? チョコもちゃんと貰えたし」
「うう、恥ずかしい。せっかく貯金も崩して、本格的なメイド服も買ったのに。高かったのに……」
 福沢さんが二人ばかり飛んでいったらしい。
「そんなに落ち込むなって。俺だけに見せてくれたメイド姿だろ? 彼氏冥利に尽きるからさ」
「……ねえ」
「ん?」
「本当に、私のあの姿が見れて良かったって思ってる? 心の底では笑ってりしてない?」
 不安そうに見上げてくる千尋を安心させるように、亮祐は繋いだ手をぎゅっと握った。
「そんなことは決してないよ。本当に嬉かった。だって、俺のためにそこまでしてくれたんだから。だから、そこは自信を持ってくださいな」
「……うんっ」
 亮祐の言葉で不安が吹っ切れたのか、千尋はようやく笑顔を見せてくれ、手を強く握り返してきた。
「じゃあ、チョコとメイド姿を見せてくれたお礼に、今度の日曜、デート行かない? 千尋の行きたいところで」
「お礼の対象が何か嫌だけど……。でもデートなら行く! ええとね、前から行きたかったショッピングモールがね」
「あいよ。そこに行こう」
 二つ返事で承諾。可愛い千尋の希望なら叶えましょう。ホワイトデーの前祝いだ。
 ちょっとした(かなり?)ハプニングのあったバレンタインだったが、それはそれで、二人の絆はさらに強くなったようである。
 その証拠に。
 二人の手はしっかりと繋がれたまま、一度も離れていないのだから。

「――ああそうだ」
「?」
「今度またメイド姿見せてくれると、メイドスキーでもある俺はとても嬉しい」
「……ばか。でも、どうしても見たいなら……また、二人っきりのときに、ね」
 ……訂正。
 ただのバカップルだったようである。


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